寒さが続いてますね。今日はどこにも出かけないでよい日。つまりはパソコン三昧で後悔する日。




2000N220句(前日までの二句を含む)

February 2022000

 朝寝して旅のきのふに遠く在り

                           上田五千石

語は「朝寝」で春。春眠に通じる。長旅から戻った疲れから、時間を忘れて遅くまで眠った。目覚めたときに一瞬、自分の寝ている場所がどこかと確認し、自宅であることに安堵して、またうつらうつら……。心地よいまどろみ。「きのふ」までの遠い旅の余熱が残っている気分が、よく出ている。海外から戻ったときなどには、とくにこうした気分の朝を迎える。旅先での緊張度が、いかに重いものかを実感させられるときだ。俗に「枕がかわると眠れない」などと言うが、旅行には必ず自分の枕を携行する友人がいる。ライナスの毛布みたいだけれど、案外そういう人は多いのかもしれない。私の場合は、大昔の学生運動でのごろ寝の習慣が身に付いてしまい、どんな環境でも一応は寝ることができる。ただ、だんだん年齢を重ねてくるにつれ、身体がぜいたくになってきたのか、静かな部屋でゆったり寝たいと思うようにはなってきた。よほどのことでもなければ、もう教室の机の上や公園のベンチで寝ることもないだろう。青春という名のはるかに遠い旅の日々よ。「俳句とエッセイ」(1982年5月号)所載。(清水哲男)


February 1922000

 もやし独活鉄砲かつぎして戻る

                           高本時子

活(うど)は、関東武蔵野の名産。一昨日、武蔵野市で恒例の品評会と即売会が開かれ、知りあいが求めてきたもののお裾分けにあずかった。ひょろ長いので、句のように「鉄砲かつぎ」して持ち帰り(バスの中では、さすがにuprightに持たざるをえなかったけれど)、夕食時に間に合った。早春の香り。シャキシャキとした歯触りで、奥行きのある美味。生そのままで酒のサカナにしても似合うが、生産者は天麩羅にすると美味いよと言っている。それにしても「もやし独活」とは、言いえて妙だ。山野に自生する「山独活」に対してのネーミングで、特殊な栽培法により食べられる茎の部分をできるだけ長く伸ばすところから、「もやし」と言ったのである。ひょつとすると、正統山独活愛好派からの揶揄が入っている呼び名なのかもしれない。かの高村光太郎に「山うどのにほひ身にしみ病去る」がある。まさか独活を食べたせいで「病去る」となったわけではないのだが、早春の訪れを告げる「にほひ」に接して、体調よろしきはそのおかげだと感じている心情が嬉しい。よくぞ日本に生まれけり、である。(清水哲男)


February 1822000

 すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる

                           阿部完市

明な孤独感の表出。……と書いてみると、これでよいような、どこか間違っているような。「そこ」は「底」でもあり「其処」でもあるだろう。このとき、太鼓はどんな太鼓なのだろうか。私は、玩具の楽隊が叩くような小さくて赤い太鼓を想像している。大の男がそれを規律正しい足取りで叩きながら通る姿は、かぎりなく狂気に近い正気な行為に見えて、自分の心にも「こういうところがあるな」と納得できる。誰でもが、主にその幼児性において、狂気すれすれの生を生きているのだと思うし、ある日突然、それはかくのごときイメージとなって脳裏に明滅したりする。この句のよさは、妙に文学的に身をやつしていないところであり、加えて暗さが微塵もない点にあるだろう。まさに、単純にして素朴に「すきとおる」のみの世界。この力強さは、一行詩と言えなくもない表現様式に、なお俳句であることを主張している。俳句の修練を通過していない表現者には、このような「ポエジー」は書けないのだ。一読、不思議な世界には違いないが、何度か反芻しているうちに、いつしか我が身になじんでくるという不思議。俳句の力。『にもつは絵馬』(1974)所収。(清水哲男)




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