子供が小さかったころは、学年雑誌の付録のお雛さまを飾っていた。あれ、とっとけばよかった。




2000ソスN2ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2222000

 薄氷の針を見出でし宿酔

                           三橋敏雄

氷は「はくひょう」と読んでもよいのだが、和語ふうに「うすらひ」と読むのが俳句では普通。心地よい響きです。宿酔は、掲句では「ふつかよい」だろう。春先ともなれば、氷も薄くはる。割れやすく、真冬の氷とは違って穏やかな感じだ。が、その薄い氷の表に、作者は「針」を見てしまったと言うのである。宿酔ならではのトゲトゲしい感覚の所産だ。酒飲みのための解説ならば、これでおしまいにするところ(笑)。この句から敷衍して言えることは、宿酔だろうが高熱だろうが、はたまたもっと悲惨な状態にあろうが、人はそれなりの状況下で、必ず何かを見たり聞いたり感じたりするということだ。当たり前じゃないかと言うのはみやすいけれど、その当たり前こそが恐ろしい。薄氷に「針」を見た。「宿酔だからなあ」と、しかし、作者はそう笑い捨てるわけにはいかない何かを感じたからこそ、書きつけたのである。いずれ酔いなどさめてしまうが、さめないのはこのときの「針」の記憶だ。そして、また別の「針」を、また別の状況下でも見てしまう。人はいつもこうして、いわば薄氷の「針」の記憶の畳の上で生きているのだし、生きつづけていかなければならないのである。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)


February 2122000

 大丈夫づくめの話亀が鳴く

                           永井龍男

語は「亀鳴く」。春になると、亀の雄が雌を慕って鳴くのだそうな。もちろん、鳴きゃあしない。でも、亀を見ると鳴いてもよさそうな顔つきはしている。浦島太郎に口をきいた亀は海亀(それも赤海亀の「雌」だろうという説あり・昨夜のNHKラジオ情報)だが、俳句の亀は川や湖沼に生息する小さな亀だ。どんな歳時記にも「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」という藤原為家の歌が原点だと書いてある。さて「大丈夫」という話ほどに、「大丈夫」でない話はない。ましてや「大丈夫づくめ」とくれば、誰だって何度も眉に唾する気持ちになる。そんなインチキ臭い話につき合っているうちに、作者はだんだんアホらしくなってきて、むしろ逆に愉快すらを覚えたというところか。鳴かない亀の鳴き声までが聞こえてくるようだと、気分が落ち着いた。ところで、この話を持ちかけている(たぶん)男は、相当なお人よしなのである。口車に乗せようとしても、その端から相手に嘘を悟られていることに気がつかないのだから……。うだつのあがりそうもない営業マンに多いタイプだ。しかし、彼の嘘つきの背景には、妻子を抱えての生活があるのかもしれないし、他に必死の事情があるのかもしれない。そう思うと、作者は笑っているが、なんだかとても辛くなる句だ。『雲に鳥』(1977)所収。(清水哲男)


February 2022000

 朝寝して旅のきのふに遠く在り

                           上田五千石

語は「朝寝」で春。春眠に通じる。長旅から戻った疲れから、時間を忘れて遅くまで眠った。目覚めたときに一瞬、自分の寝ている場所がどこかと確認し、自宅であることに安堵して、またうつらうつら……。心地よいまどろみ。「きのふ」までの遠い旅の余熱が残っている気分が、よく出ている。海外から戻ったときなどには、とくにこうした気分の朝を迎える。旅先での緊張度が、いかに重いものかを実感させられるときだ。俗に「枕がかわると眠れない」などと言うが、旅行には必ず自分の枕を携行する友人がいる。ライナスの毛布みたいだけれど、案外そういう人は多いのかもしれない。私の場合は、大昔の学生運動でのごろ寝の習慣が身に付いてしまい、どんな環境でも一応は寝ることができる。ただ、だんだん年齢を重ねてくるにつれ、身体がぜいたくになってきたのか、静かな部屋でゆったり寝たいと思うようにはなってきた。よほどのことでもなければ、もう教室の机の上や公園のベンチで寝ることもないだろう。青春という名のはるかに遠い旅の日々よ。「俳句とエッセイ」(1982年5月号)所載。(清水哲男)




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