「人生とか幸せ撮るにはライカが必要なんですよ」(荒木経惟)。うなずける、持ってないけど。




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February 2322000

 なずな咲くてくてく歩くなずな咲く

                           小枝恵美子

ずな(漢字では「薺」と難しい字を書く)は、陰暦正月七日の七種粥に入れる七草の一つなので、単に「なずな」だと、歳時記的には「新年」に分類される。が、花が咲くのは早春から梅雨期にかけてであり、掲句の場合には「薺の花」で春。またの名を「ぺんぺん草」とも「三味線草」とも言う(こちらのほうがポピュラーか)。さて、この句の魅力は「てくてく」にある。「歩く」といえば「てくてく」など常套的な修辞でしかないが、実にこの「てくてく」の用法は素晴らしい。いたるところに咲いているなずなの道を行く気分は、別にいちいち花を愛でながらというわけでもないので、むしろ常套的な「てくてく」がふさわしいし、句の情景を生き生きとさせている。「むしろ技巧的に思われるほどだ」と句集の栞で書いた池田澄子は、さらにつづけて「そこここに咲いている『なずな』と、そのことを喜び受け止めながら歩いている人物は、春を輝く万物の細部としての代表である」と述べている。これまた素晴らしい鑑賞だ。春の道は、こんなふうに「てくてく」と歩きたい。なお「なずな」を「ぺんぺん草」「三味線草」と呼ぶのは、その実を三味線のバチに見立てたことにちなむそうだ。今日調べてみるまでは、つゆ知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


February 2222000

 薄氷の針を見出でし宿酔

                           三橋敏雄

氷は「はくひょう」と読んでもよいのだが、和語ふうに「うすらひ」と読むのが俳句では普通。心地よい響きです。宿酔は、掲句では「ふつかよい」だろう。春先ともなれば、氷も薄くはる。割れやすく、真冬の氷とは違って穏やかな感じだ。が、その薄い氷の表に、作者は「針」を見てしまったと言うのである。宿酔ならではのトゲトゲしい感覚の所産だ。酒飲みのための解説ならば、これでおしまいにするところ(笑)。この句から敷衍して言えることは、宿酔だろうが高熱だろうが、はたまたもっと悲惨な状態にあろうが、人はそれなりの状況下で、必ず何かを見たり聞いたり感じたりするということだ。当たり前じゃないかと言うのはみやすいけれど、その当たり前こそが恐ろしい。薄氷に「針」を見た。「宿酔だからなあ」と、しかし、作者はそう笑い捨てるわけにはいかない何かを感じたからこそ、書きつけたのである。いずれ酔いなどさめてしまうが、さめないのはこのときの「針」の記憶だ。そして、また別の「針」を、また別の状況下でも見てしまう。人はいつもこうして、いわば薄氷の「針」の記憶の畳の上で生きているのだし、生きつづけていかなければならないのである。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)


February 2122000

 大丈夫づくめの話亀が鳴く

                           永井龍男

語は「亀鳴く」。春になると、亀の雄が雌を慕って鳴くのだそうな。もちろん、鳴きゃあしない。でも、亀を見ると鳴いてもよさそうな顔つきはしている。浦島太郎に口をきいた亀は海亀(それも赤海亀の「雌」だろうという説あり・昨夜のNHKラジオ情報)だが、俳句の亀は川や湖沼に生息する小さな亀だ。どんな歳時記にも「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」という藤原為家の歌が原点だと書いてある。さて「大丈夫」という話ほどに、「大丈夫」でない話はない。ましてや「大丈夫づくめ」とくれば、誰だって何度も眉に唾する気持ちになる。そんなインチキ臭い話につき合っているうちに、作者はだんだんアホらしくなってきて、むしろ逆に愉快すらを覚えたというところか。鳴かない亀の鳴き声までが聞こえてくるようだと、気分が落ち着いた。ところで、この話を持ちかけている(たぶん)男は、相当なお人よしなのである。口車に乗せようとしても、その端から相手に嘘を悟られていることに気がつかないのだから……。うだつのあがりそうもない営業マンに多いタイプだ。しかし、彼の嘘つきの背景には、妻子を抱えての生活があるのかもしれないし、他に必死の事情があるのかもしれない。そう思うと、作者は笑っているが、なんだかとても辛くなる句だ。『雲に鳥』(1977)所収。(清水哲男)




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