新聞に「プロ野球選手名鑑」。「名鑑」とは懐しや。某詩人は、子供時代に自力で作ったという。




2000ソスN2ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2422000

 雛飾りつゝふと命惜しきかな

                           星野立子

十歳を目前にしての句。きっと、幼いときから親しんできた雛を飾っているのだろう。昔の女性にとっての雛飾りは、そのまま素直に「女の一生」の記憶につながっていったと思われる。物心のついたころからはじまって、少女時代、娘時代を経て結婚、出産のときのことなどと、雛を飾りながらひとりでに思い出されることは多かったはずだ。「節句」の意味合いは、そこにもある。そんな物思いのなかで、「ふと」強烈に「命惜しき」という気持ちが突き上げてきた。間もなく死期が訪れるような年齢ではないのだけれど、それだけに、句の切なさが余計に読者の胸を打つ。俳句に「ふと」が禁句だと言ったのは上田五千石だったが、この場合は断じて「ふと」でなければなるまい。人が「無常」であるという実感的認識を抱くのは、当人にはいつも「ふと」の機会にしかないのではなかろうか。華やかな雛飾りと暗たんたる孤独な思いと……。たとえばこう図式化してしまうには、あまりにも生々しい人間の心の動きが、ここにはある。蛇足ながら、立子はその後三十年ほどの命を得ている。私は未見だが、鎌倉寿福寺に、掲句の刻まれた立子の墓碑があると聞いた。あと一週間で、今年も雛祭がめぐってくる。『春雷』(1969)所収。(清水哲男)


February 2322000

 なずな咲くてくてく歩くなずな咲く

                           小枝恵美子

ずな(漢字では「薺」と難しい字を書く)は、陰暦正月七日の七種粥に入れる七草の一つなので、単に「なずな」だと、歳時記的には「新年」に分類される。が、花が咲くのは早春から梅雨期にかけてであり、掲句の場合には「薺の花」で春。またの名を「ぺんぺん草」とも「三味線草」とも言う(こちらのほうがポピュラーか)。さて、この句の魅力は「てくてく」にある。「歩く」といえば「てくてく」など常套的な修辞でしかないが、実にこの「てくてく」の用法は素晴らしい。いたるところに咲いているなずなの道を行く気分は、別にいちいち花を愛でながらというわけでもないので、むしろ常套的な「てくてく」がふさわしいし、句の情景を生き生きとさせている。「むしろ技巧的に思われるほどだ」と句集の栞で書いた池田澄子は、さらにつづけて「そこここに咲いている『なずな』と、そのことを喜び受け止めながら歩いている人物は、春を輝く万物の細部としての代表である」と述べている。これまた素晴らしい鑑賞だ。春の道は、こんなふうに「てくてく」と歩きたい。なお「なずな」を「ぺんぺん草」「三味線草」と呼ぶのは、その実を三味線のバチに見立てたことにちなむそうだ。今日調べてみるまでは、つゆ知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


February 2222000

 薄氷の針を見出でし宿酔

                           三橋敏雄

氷は「はくひょう」と読んでもよいのだが、和語ふうに「うすらひ」と読むのが俳句では普通。心地よい響きです。宿酔は、掲句では「ふつかよい」だろう。春先ともなれば、氷も薄くはる。割れやすく、真冬の氷とは違って穏やかな感じだ。が、その薄い氷の表に、作者は「針」を見てしまったと言うのである。宿酔ならではのトゲトゲしい感覚の所産だ。酒飲みのための解説ならば、これでおしまいにするところ(笑)。この句から敷衍して言えることは、宿酔だろうが高熱だろうが、はたまたもっと悲惨な状態にあろうが、人はそれなりの状況下で、必ず何かを見たり聞いたり感じたりするということだ。当たり前じゃないかと言うのはみやすいけれど、その当たり前こそが恐ろしい。薄氷に「針」を見た。「宿酔だからなあ」と、しかし、作者はそう笑い捨てるわけにはいかない何かを感じたからこそ、書きつけたのである。いずれ酔いなどさめてしまうが、さめないのはこのときの「針」の記憶だ。そして、また別の「針」を、また別の状況下でも見てしまう。人はいつもこうして、いわば薄氷の「針」の記憶の畳の上で生きているのだし、生きつづけていかなければならないのである。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)




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