浅草で辻征夫(辻貨物船)なき「余白句会」。兼題に「船」も。佳句があったら、明日掲示板に。




2000ソスN2ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2622000

 椿的不安もあるに井の蓋は

                           小川双々子

だ寒さの残る早春の光景。田舎で育った人には、きっと見覚えがあるだろう。庭の片隅に蓋のされた井戸があって、すぐ近くでは椿の花が凛とした姿で咲いている。井戸の蓋は、手漕ぎポンプを取り付ける支えのためと、ゴミが入らないようにするためだ。誰もが見慣れた光景だが、そのなんでもないところから、双々子はこれだけのことを言ってのけている。「凄いなア」と、ただ感嘆するばかりだ。「椿的不安」とは、凛として咲いてはいるのだが、いつ突然にがくりと花首が折れるかもしれぬ不安だ。ひるがえって、井戸の蓋はどうか。一見ノンシャランの風情に見えるけれど、考えてみると、蓋の裏面は奈落の底と対しているわけだ。その暗黒で計ることのできない下方への距離感は、想像するだに「板子一枚下は地獄」よりもずっと怖いだろう。いつ、突然にはるか下方の水面に落下するやもしれぬ。日夜、そんな「椿的不安」にさいなまれていないはずはない。なのに「井の蓋」は、いつ見ても平然としている。見上げたものよ。人間だとて、所詮はこの「井の蓋」と同じような存在だろう。かくのごとき境地を得たいものだと、作者は願っている。「地表」(1999年・11-12合併号)所載。(清水哲男)


February 2522000

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

                           坪内稔典

っ、たんぽぽ(蒲公英)の「ぽぽのあたり」って、どこらへんなの(地方によっては、ちょっとエロチックな想像に走る人もいそうだ)。そう思った途端に、読者は作者の術中にはまっている。実体を指示するための言葉を、あっけらかんと実体そのものに転化させてしまう手法はユニークだ。詩の世界では見られなくもないけれど、俳句では珍しい。「どこと問われてもねえ」と、笑っているだけの作者の顔が浮かんでくるようだ。馬鹿馬鹿しいといえばそれまでだが、しかし、この句は確実に記憶に残る。その「記憶に残る」ということが、作者近年のテーマのようだ。句集の後書きに「簡単に覚えることができ、そして気軽に口ずさめる俳句は、諺にきわめて近い」と記されており、「言技師(ことわざし)こそが俳人」だと言っている。賛成だ。論より証拠(!!)。坪内稔典の人口に膾炙している句は、みんな諺のように覚えやすい。しかも、諺とは違って、中身はナンセンスの極地にある。こういう句は、よほど言葉が好きでないとできないだろう。そしてもう一方では、よほど人間が好きで、その機微に通じるセンスがないと……。ちなみに、連作「ぽぽのあたり」は「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」で締めくくられている。はぐらかされたか。そこがまた楽しい。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)


February 2422000

 雛飾りつゝふと命惜しきかな

                           星野立子

十歳を目前にしての句。きっと、幼いときから親しんできた雛を飾っているのだろう。昔の女性にとっての雛飾りは、そのまま素直に「女の一生」の記憶につながっていったと思われる。物心のついたころからはじまって、少女時代、娘時代を経て結婚、出産のときのことなどと、雛を飾りながらひとりでに思い出されることは多かったはずだ。「節句」の意味合いは、そこにもある。そんな物思いのなかで、「ふと」強烈に「命惜しき」という気持ちが突き上げてきた。間もなく死期が訪れるような年齢ではないのだけれど、それだけに、句の切なさが余計に読者の胸を打つ。俳句に「ふと」が禁句だと言ったのは上田五千石だったが、この場合は断じて「ふと」でなければなるまい。人が「無常」であるという実感的認識を抱くのは、当人にはいつも「ふと」の機会にしかないのではなかろうか。華やかな雛飾りと暗たんたる孤独な思いと……。たとえばこう図式化してしまうには、あまりにも生々しい人間の心の動きが、ここにはある。蛇足ながら、立子はその後三十年ほどの命を得ている。私は未見だが、鎌倉寿福寺に、掲句の刻まれた立子の墓碑があると聞いた。あと一週間で、今年も雛祭がめぐってくる。『春雷』(1969)所収。(清水哲男)




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