今年2000年は閏年。しかし1900年は平年だった。何故でしょう。わからない方は深く考えないで。




2000ソスN2ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2922000

 薮うぐひすようこそ東京広きかな

                           及川 貞

(うぐいす)といえば春だが、「薮鶯(やぶうぐいす)」は冬に分類。越冬期に人里近く降りてくる鶯のことで、まだ鳴き声も「チチッ、チチッ」とおぼつかない。そんな時期の鶯が、庭先にでも姿を現したのだろうか。ああ、春も間近だと嬉しくなり、思わずも「ようこそ」と内心で声をかけている。一般的に「東京は広い」というとき、地理的な広さとは別に、転じて「何でもあり、何でも起きる」という意味に使うことがあるが、句の「広き」もこれに近い意味だと思う。まさか、こんな町中のこんな庭にまで鶯が……というニュアンスだ。だから「ようこそ」なのである。作られたのは、戦後も十数年を経たころ。薮(あるいは、かろうじて薮と呼べるところ)なども、まだ東京のそこここに残っていたとはいえ、鶯の出現はもはや珍しい出来事であったにちがいない。読後、私は「ようこそ」の挨拶語をこのように使える作者(女性)の人柄に思いがおよび、とても暖かい心持ちになった。しばらく、心地よい余韻に酔った。このころも世の中はギスギスしていたが、しかし一方では人々に高度成長期への躍動感もあったはずで、そのあたりの雰囲気が句に暖かさを誘ったとも読んだのだった。『夕焼』(1967)所収。(清水哲男)


February 2822000

 春空の思はぬ方へ靴飛べり

                           守屋明俊

供時代の思い出。春の空を見ているうちに、ひょいと思い出している。ボールか何かを思い切り蹴飛ばしたら、ついでに靴までが脱げて飛んでいってしまった。ボールはあっちへ、靴はあらぬ方へと。私にも、覚えがある。今はそうでもないのだろうが、昔の子供は少し大きめの(ともすると、ブカブカの)靴を買い与えられたものだ。月星運動靴だったかなあ、そんなズック靴。成長がはやいので、ぴったりした靴だと、すぐに履けなくなってしまうからである。靴といえぱ忘れられないのが、高校に入学した春のことだ。当時の立川高校は入学できる地域が広く、多摩地区全体から志望することができた。西は檜原村あたりから東は武蔵野市あたりまで。で、私など西からの新入生は当然のようにズック靴を履いていったのだが、東からの連中はみな革靴を履いていた。口惜しいので口にこそ出さなかったけれど、かなりのショックを受けた。そんなことは、東の諸君は覚えていないだろうな。革靴を買ってもらったのは、大学に入ってからだった。何度も靴底を張り替えて履いていたものである。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


February 2722000

 受験期や少年犬をかなしめる

                           藤田湘子

験期の日々の、なんとも名状しがたく、やり場のない重圧感。あの気分は、たぶん受験に失敗した者しか覚えていないのだろうけれど……。あのときに生まれてはじめて、大半の少年(少女)は「誰も助けてくれない」という社会的重圧に直面する。そんなときに心が向かうのは、家族や友人や教師といった人間にではなく、たいていは句のように相手が犬だったりする。犬は「たいへんだねえ」とも言わないし「がんばれよ」とも言わない。いつも通りの態度なので、かえって心が癒されるのだ。生臭くない淡々たる関係が、そこだけにある。いつもと変わらぬ日常性が生きている。その関係のなかで、しかし少年は人間だから、その関係性をいささか毀し加減に相手を「かなし」むということをする。普段よりも、余計に可愛がったりしてしまう。横目で見ている作者は、そのことをまた「かなし」んでいるという句の構造だろう。すなわち、そこが「かなしめり」と平仮名表記されている所以で、このとき「かなしめり」は「愛しめり」であり「哀しめり」でもあり、さらには「悲しめり」でさえあるのかもしれない。『途上』(1955)所収。(清水哲男)




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