大阪万博開幕日(1972)。ペプシ館の仕事をした関係で、ペプシが西日本で強いと知った。今は?




2000ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1432000

 卒業式辞雪ちらつけり今やめり

                           森田 峠

の女生徒の絵について、北国の読者からメールをいただきました。「当地では、卒業式と桜の花の色はあまり結びつきません。きのうも、とても『春の雪』とはいえぬ積雪がありました」。そういえば、そうですね。東京あたりでも、中学の卒業式のころに絵のような桜が咲く(高校だと三月初旬の式が多いので、桜とは無縁)のは、十年に一度くらいでしょうか。北国のみなさんは、卒業と雪とがむすびつくのは普通のことでしょう。ところで、作者は作句当時、尼崎市立尼崎高校の国語科の先生でした。関西です。彼の地の三月の雪は珍しく、式辞の間にも季節外れの雪が気になって、ちらちらと窓の外を見やっているという情景。先生としては、卒業式は毎春の決まりきった行事ですから、熱心に式辞に聞き入るというようなこともないわけです。そんな気分の延長されてできたような句が「卒業子ならびて泣くに教師笑む」。もとより慈顔をもっての微笑でしょうが、卒業に対する教師の思いと生徒のそれとは、どこかで微妙に食い違っている……。教師になったことがないのでわかりませんが、そんなふうに読めてしまいました。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)


March 1332000

 春不況マンガと日経を読む若さ

                           福住 茂

況は、もとより季節などには関係はない。が、句の「春不況」の「春」には意味がある。おりしも春闘の時期だからだ。同じ作者に「十五夜の光る鉄路を点検す」があるので、鉄道労働者だと知れる。昔は基幹産業の担い手として、鉄道労組の春闘は注目の的だった。実力行使ともなれば、電車が止まってしまうのだから、この時期には新聞などでも闘争の予測や思惑が華々しくとびかったものである。それが最近では、不況のせいで、まったく沈静化してしまった。鉄道に労組なんてあるのか、そんな感じにまでなってきた。先の日比谷線事故でも、労組の見解やアピールは何も聞こえてこない。危険と向き合いながら現場で働く人々の声こそ、利用者は聞きたいのに……。かつての激しい春闘時代を知る作者は、この季節にのほほんと漫画を読み、他人事のように「日本経済新聞」を読む若者たちに、半ば呆れ、半ば感嘆している。たしかに、時代は変わってしまった。しかし、この変わりようで本当によいのだろうか。句は、そういうことを言いたいのだ。現代俳句協会編『現代俳句年鑑2000』(1999)所載。(清水哲男)


March 1232000

 猪が来て空気を食べる春の峠

                           金子兜太

(いのしし・句では「しし」と読ませている)というと、とくに昔の農家には天敵だった。夜間、こいつらに荒らされた山畑の無残な姿を、私も何度も見たことがある。農作物を食い荒らすだけではなく、土を掘り返して野ネズミやミミズなどを食うのだから、一晩にして畑はめちゃくちゃになってしまう。俳句で「猪」は秋の季語だが、もちろんそれはこうした彼らの悪行(?!)の頻発する季節にちなんだものだ。猪や鹿を撃退するために「鹿火屋(かびや)」と言って、夜通し火を焚いて寝ずの番をする小屋を設ける地方もあったようだが、零細な村の農家にはそんな人的経済的な余裕はなかった。せいぜいが、猟銃を持っているときに出くわしたら、それで仕留めるのが精いっぱい。仕留められた猪も何度も見たけれど、いつ見ても、とても可愛い顔をしているなという印象だった。日本種ではないようだが、いま近くの「東京都井の頭自然文化園」で飼われている猪族も、実に愛嬌のある顔や姿をしている。まともに見つめると、とても憎む気にはなれないキャラクターなのだ。だから、この句の猪の可愛らしさも素直に受け取れる。ましてや「春の空気」しか食べていないのだもの、私もいっしよになって口を開けたくなってくる……。『遊牧集』(1981)所収。(清水哲男)




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