春闘相場が過去最低の水準に落ち着きそうだ。プレステ2などの玩具が売れるのも、無縁ではない。




2000ソスN3ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1632000

 水温む赤子に話しかけられて

                           岸田稚魚

魚、最晩年(享年は七十歳だった)の句。「赤子」は身内の孫などではなく、偶然に出会った他家の赤ちゃんと解したい。少年時代から壮年期にいたるくらいまで、とりわけて男は、こうした場面には弱いものだ。たまたま電車やバスのなかで、乗りあわせた赤ちゃんと目があったりすることがある。オンブやダッコをしている母親はあっちの方を向いているので、赤ちゃんはこっちの方に関心を抱くのだろう。ときに声をあげて、なにやら挨拶(?)してくれるのだが、当方としては大いにうろたえるだけで、とても返答することなどできはしない。といって、むげに目をそらすわけにもいかないので、曖昧な笑いを浮かべたりするだけ。なんとも、情けない気分。しかし妙なもので、五十歳にかかったあたりから、だんだんと小声ながらも、そんな赤ちゃんに応接ができるようになってくる。応接していると、むしろ嬉しくなってくるのだ。いまは、このことの心身的な解釈はしないでおくが、句の眼目は自然の「水温む」よりも、作者自身の「気持ちの水」が「温む」ことで「春」を感じているところにある。遺句集『紅葉山』(1989)所収。(清水哲男)


March 1532000

 瓦せんべい風をまくらにねむる町

                           穴井 太

季の句だが、風の強い春先ないしは野分けの季節を思わせる。「瓦せんべい」の名産地なのだろうが、私には見当がつかない。。町並みもまた瓦(屋根)のつづく古い土地で、風の強い夜には、人っ子ひとり歩いていない。町の人は、みんなもう眠ってしまっているかのようである。ごうごうと吹きすぎる風の音のみで、町は風をまくらに寝ているという感じがしてくるのだ。真っ暗な工場の倉庫では、ひりひりと瓦せんべいが乾いていることだろう。旅にしあれば、こんなことを思うことがある。ところで、余談。瓦せんべいは小麦粉で作りますが、有名な「草加せんべい」などは米粉製ですね。小麦粉せんべいのほうが、ずっと歴史は古く、源は遠く中国に発しているのだそうです。小麦粉製であれ米粉製であれ、せんべいは好物でしたが、どうも最近はいけません。職場でのおやつに出たりすると、小さく割ってから口に入れることにしています。若いころは、ビールの栓だって歯で抜けたのに……。「もう、あかんなア」という心持ちにならざるをえません。『天籟雑唱』(1983)所収。(清水哲男)


March 1432000

 卒業式辞雪ちらつけり今やめり

                           森田 峠

の女生徒の絵について、北国の読者からメールをいただきました。「当地では、卒業式と桜の花の色はあまり結びつきません。きのうも、とても『春の雪』とはいえぬ積雪がありました」。そういえば、そうですね。東京あたりでも、中学の卒業式のころに絵のような桜が咲く(高校だと三月初旬の式が多いので、桜とは無縁)のは、十年に一度くらいでしょうか。北国のみなさんは、卒業と雪とがむすびつくのは普通のことでしょう。ところで、作者は作句当時、尼崎市立尼崎高校の国語科の先生でした。関西です。彼の地の三月の雪は珍しく、式辞の間にも季節外れの雪が気になって、ちらちらと窓の外を見やっているという情景。先生としては、卒業式は毎春の決まりきった行事ですから、熱心に式辞に聞き入るというようなこともないわけです。そんな気分の延長されてできたような句が「卒業子ならびて泣くに教師笑む」。もとより慈顔をもっての微笑でしょうが、卒業に対する教師の思いと生徒のそれとは、どこかで微妙に食い違っている……。教師になったことがないのでわかりませんが、そんなふうに読めてしまいました。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)




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