彼岸の入り。「毎年よ彼岸の入に寒いのは」と母親の言葉をそのまま句にした子規の句は有名だ。




2000ソスN3ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1732000

 鶏追ふやととととととと昔の日

                           摂津幸彦

面的にも面白い句だが、写生句でもある。戦後しばらくの間は、競うようにして鶏を飼ったものだ。少しでも、栄養不良を解消しようと願ってのこと。だから「昔の日」なのである。夜の間は鶏舎に収容しておいて、朝方に卵を生ませる。昼間は運動を兼ねてそこらへんの物を食べさせようというわけで、放し飼いにした。あのころは、表のどこにでも鶏がいた。まだ「バタリー方式」だなんて酷薄な飼い方も、一般には知られてなかった(私は百姓の息子だったので、雑誌「養鶏の友」で知ってましたけどね、エヘン)。「とととととと」は、そんな鶏たちの走り回る様子の形容であると同時に、夕刻に彼らを鶏舎に追い込むときの「とぉとぉとぉ……」という掛け声だ。なぜ「とぉとぉとぉ、ととととと」と言って追ったのか、その謂れは知らない。馬に止まれと命令するときに使う「ドウドウ」にしてもそうだが、誰か動物との対話に長けた先達の発明語なのではあるだろう。我が家は三十羽ほど飼っていたので、夕刻に何度「とぉとぉとぉ」を連呼したことか。鶏舎に追い込むのは、子供の仕事だった。ちょっと哀愁を帯びたトーンのこの掛け声を、京都の詩人・有馬敲さんが自演して、フォーク全盛時代にレコード化したことがあり、いまでも思い出して聞くことがある。過ぎ去ればすべて懐しい日々……。と、これは亡くなった岡山の詩人・永瀬清子さんの著書のタイトルである。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)


March 1632000

 水温む赤子に話しかけられて

                           岸田稚魚

魚、最晩年(享年は七十歳だった)の句。「赤子」は身内の孫などではなく、偶然に出会った他家の赤ちゃんと解したい。少年時代から壮年期にいたるくらいまで、とりわけて男は、こうした場面には弱いものだ。たまたま電車やバスのなかで、乗りあわせた赤ちゃんと目があったりすることがある。オンブやダッコをしている母親はあっちの方を向いているので、赤ちゃんはこっちの方に関心を抱くのだろう。ときに声をあげて、なにやら挨拶(?)してくれるのだが、当方としては大いにうろたえるだけで、とても返答することなどできはしない。といって、むげに目をそらすわけにもいかないので、曖昧な笑いを浮かべたりするだけ。なんとも、情けない気分。しかし妙なもので、五十歳にかかったあたりから、だんだんと小声ながらも、そんな赤ちゃんに応接ができるようになってくる。応接していると、むしろ嬉しくなってくるのだ。いまは、このことの心身的な解釈はしないでおくが、句の眼目は自然の「水温む」よりも、作者自身の「気持ちの水」が「温む」ことで「春」を感じているところにある。遺句集『紅葉山』(1989)所収。(清水哲男)


March 1532000

 瓦せんべい風をまくらにねむる町

                           穴井 太

季の句だが、風の強い春先ないしは野分けの季節を思わせる。「瓦せんべい」の名産地なのだろうが、私には見当がつかない。。町並みもまた瓦(屋根)のつづく古い土地で、風の強い夜には、人っ子ひとり歩いていない。町の人は、みんなもう眠ってしまっているかのようである。ごうごうと吹きすぎる風の音のみで、町は風をまくらに寝ているという感じがしてくるのだ。真っ暗な工場の倉庫では、ひりひりと瓦せんべいが乾いていることだろう。旅にしあれば、こんなことを思うことがある。ところで、余談。瓦せんべいは小麦粉で作りますが、有名な「草加せんべい」などは米粉製ですね。小麦粉せんべいのほうが、ずっと歴史は古く、源は遠く中国に発しているのだそうです。小麦粉製であれ米粉製であれ、せんべいは好物でしたが、どうも最近はいけません。職場でのおやつに出たりすると、小さく割ってから口に入れることにしています。若いころは、ビールの栓だって歯で抜けたのに……。「もう、あかんなア」という心持ちにならざるをえません。『天籟雑唱』(1983)所収。(清水哲男)




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