私鉄バスのストライキ・デー。例年、妥結の遅れる会社はだいたい読めるのが哀しい。がんばれ。




2000ソスN3ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2432000

 蒲公英のかたさや海の日も一輪

                           中村草田男

吠埼での連作「岩の濤、砂の濤」のうち。蒲公英(たんぽぽ)はもとより春の季語だが、他の句から推して春というよりも冬季の作品だ。一句目には「燈臺の冬ことごとく根なし雲」とある。一輪の蒲公英が、怒濤の海を真向かいに、地に張りつき身をちぢめるようにして咲いている。たしかに蒲公英は、それでなくとも「かたい」印象を受ける花であるが、寒さゆえに一層「かたく」見えている。生命力の強い花だ。そして曇天の空を見上げれば、そこにも「かたく」寒々とした太陽が、雲を透かして「一輪」咲くようにして浮かんでいる……。この天と地の花の照応が読みどころだ。読むだけで、読者の身もちぢこまってくるようではないか。この句を評して山本健吉は「古今のたんぽぽの句中の白眉である」と絶賛しているが、同感だ。常々「二百年は生きたい」と言っていた草田男ならではの、これは大きく張った自然観・人生観の所産である。かつて神田秀夫は、草田男を「天真の自然人」と言った。『火の島』(1939)所収。(清水哲男)


March 2332000

 春の月水の音して上りけり

                           正木ゆう子

か、あるいは大きな河の畔での情景だろう。水に姿を写しながら、ゆっくりと上るおぼろにかすむ月。周辺より聞こえてくる水の音は、さながら月が上っていくときにたてている音のようである。掲句を写生句と見れば、このような解釈も成り立つが、しかし、作者はむしろ幻想に近い作品と読んで欲しいのではあるまいか。句の姿勢からして難しい言葉を使っていないし、できるだけ俗世界に通じる具象を排除したがっているように思えるからだ。すなわち、ここでは本当にかすかな水音をたてながら、月が上っているのだと……。だから、月がおぼろに見えるのは、水に濡れているせいなのだ。無数の水滴をまとっている月だからなのである。それにしても、水の音をさせながら上ってくる月とは、なんという美しい発見にして発想なのだろう。もってまわった表現をすることもなく、ここまで大きな幻想世界を描き出した作者に脱帽したい。これからの俳句での抒情の地平が、まだ大きく広がっていく可能性のあることを、雄弁に示唆している句だとも言える。一読感心。「俳句研究」(2000年2月号)所載。(清水哲男)


March 2232000

 連翹の奥や碁を打つ石の音

                           夏目漱石

には黄色い花が多い。連翹(れんぎょう)もその一つだ。渡辺桂子に「連翹の何も語らず黄より葉へ」とあるように、早春、葉の出る前に鮮黄色の四弁花をびっしりと咲かせる。これから咲きはじめる地方もあるだろう。句景は、まことに長閑。通りかかった連翹の咲く家のなかから、パチリパチリと石を置く音がしている。暖かいので、縁側で打っているのかもしれない。この句を読んで、母方の祖父を思い出した。リタイアした後は、毎日のように碁敵の家にいそいそと出かけていた。そんなに面白いものなら教えて欲しいと頼んでみたら、「学生はこんなもの覚えるもんじゃない」とニベもなかった。「時間ばかりかかって、勉強の邪魔になる」というのが、彼の拒絶理由であった。そこで私はひそかに入門書を買ってきて、なんとか置き方を覚えたところで、悪友と一戦まじえてみることにした。二人ともド素人だから、いま思い出しても悲惨な戦いだった。要するに、力の限りのねじり倒しっこ。加えて私は短気なので、辛抱ということを知らない。まるで碁にならないのである。性に合わないと間もなく悟り、すっぱり止めてから四十年。『漱石俳句集』(1990・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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