都区内の桜開花予想日。新宿御苑では一分咲きという情報。都下(!)の三鷹では咲きそうもない。




2000ソスN3ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2932000

 下萌にねじ伏せられてゐる子かな

                           星野立子

の子の喧嘩だ。取っ組み合いだ。「下萌(したもえ)」というのだから、草の芽は吹き出て間もないころである。まだ、あちこちに土が露出している原っぱ。取っ組み合っている子供たちは、泥だらけだ。泥は、無念にも「ねじ伏せられてゐる」子の顔や髪にも、べたべたに貼りついているのだろう。それだけの理由からではないが、どうしても「ねじ伏せられてゐる」子に、目がいくのが人情というもの。通りかかった作者は「あらまあ、もう止めなさいよ」と呼びかけはしたろうが、その顔は微笑を含んでいたにちがいない。元気な子供たちと下萌の美しい勢いが、春の訪れを告げている。取っ組み合いなど、どこにでも見られた時代(ちなみに句は1937年の作)ならではの作品だ。句をじっと眺めていると、この場合には「ゐる」の「ゐ」の文字が実に効果的なこともわかる。子供たちは、まさに「ゐ」の字になっている。これが「い」では、淡泊すぎて物足りない。旧かなの手柄だ。私も「ねじ伏せられたり」「ねじ伏せたり」と、短気も手伝って喧嘩が絶えない子供だった。去年の闘魂や、いま何処。『立子句集』(1937)所収。(清水哲男)


March 2832000

 マダムX美しく病む春の風邪

                           高柳重信

きつけの酒場の「マダム」だろう。春の風邪は、いつまでもぐずぐずと治らない。「治らないねえ。風邪は万病の元と言うから、気をつけたほうがいいよ」。などと、客である作者は気をつかいながらも、少しやつれたマダムも美しいものだなと満足している。「マダムX」の「X」が謎めいており、いっそう読者の想像力をかき立てる。泰平楽な春の宵なのだ。ご存知のように「マダム(madame)」はフランス語。この国の知識人たちが、猫も杓子もフランスに憧れた時代があり、そのころに発した流行語である。しかし、最近では酒場の女主人のことを「ママ」と呼ぶのが一般的で、「マダム」はいつしかすたれてしまった。貴婦人の意味もある「マダム」を使うには、いささかそぐわない女主人が増えてきたせいだろうか。たまに年配者が「マダム」と話しかけていると、なにやらこそばゆい感じを受けてしまう。「マダム」という言葉はまだ長持ちしたほうなのだろうが、流行語の命ははかない。それにしても現在の「ママ」とは、どういうつもりで誰が言いだしたのか。戦後に進駐してきたアメリカ兵の影響だろうか。私も使うけれど、なんだか母親コンプレックス丸だしの甘えん坊みたいな気もして、後でシラフになってから顔が赤くなったりする。『俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


March 2732000

 たんぽぽのサラダの話野の話

                           高野素十

んぽぽが食べられるとは、知らなかった。作者も同様で、「たんぽぽのサラダの話」に身を乗り出している。「アクが強そうだけど」なんて質問をしたりしている。そこから話は発展して野の植物全般に及び、「アレも食べられるんじゃないか、食べたくはないけれど」など、話に花が咲き、楽しい話は尽きそうにもない。この句は、いつか紹介したことのあるPR誌「味の味」(2000年4月号)の余白ページで見つけた。いつものことながら、この雑誌の選句センスは群を抜いていて、読まずにはいられない。偶然だろうが、これまた楽しみにしている詩のページに、坂田寛夫のたんぽぽの詩「おそまつさま」が出ていた。全文引用しておく(/は改行)。「ストローをくわえるかっこうで/すこしずつ/ウサギの子がたんぽぽを/茎の方から呑みこんでゆく/しまいに花びらが小さい口のふたをした/いいにおいをうっとり楽しむかと思ったら/ひと思いに食べちゃった/「おいしかった」/ため息まで聞こえたような気がしたから/たんぽぽもさりげなく/「おそまつさま」/と答えたかったが/ぎざぎざに噛みひしがれて目がまわり/先の方はもう暗い胃散にこなれかけている」。今日は「味の味」におんぶにだっこ、でした。(清水哲男)




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