小渕恵三は同世代。人間「一寸先は闇」と言う。闇を承知していても、どうしようもないのが闇。




2000ソスN4ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0442000

 どことなく傷みはじめし春の家

                           桂 信子

わゆる春愁には、このような暮らしの上の心配も入り込んでくる。「どことなく」と言うのだから、具体的に家のどこかが「傷(いた)みはじめ」たというわけではない。「どことなく」なんとなく、どこなのだかよくはわからないのだが、どこかが確実に傷んできた気配がするのだ。だから、緊急に修理する必要もないわけだが、「どことなく」不安にもなってくる。暖かい光のなかの、一見平和な環境にある「春の家」だからこそ、この漠然たる不安が際立つ。句全体の味わいとしては、しかし、「どことなく」ユーモラスだ。ここに、みずからの漠然たる不安を客観視できる作者の、したたかな腕前を感じさせられる。春愁におぼれない強さ。あるいは、春愁の甘い響きに飽きてしまった諦念が、ぽろりと、むしろ不機嫌主導でこぼれ落ちたのかもしれない。いずれにしても、単純の極にある言葉だけで、これだけのことを言えた作者の才質は素晴らしい。「俳句研究年鑑」(1994)の自選句欄で見つけた。すなわち、作者自信の一句である。(清水哲男)


April 0342000

 奇術にして仁術の俳パッとさくら

                           原子公平

くら賛歌であると同時に俳句賛歌でもある。俳句には元来、その短さゆえに「奇術」のようなところがあり、たったの十七文字が悠に百万言に勝ったりする。小さなシルクハットから、鳩がパッパッと何羽も飛び立ったり、万国旗がゾロゾロと出てきたりするように、信じられない現実を突きつけてくる。しかも、上質の「俳」は読者の心を癒し、励まし、喜ばすなど、その「仁術」的効果もはかりしれない。「さくら」とて、同じこと。「奇術」のようにあれよという間に咲き、「仁術」のように人の心を浮き立たせる。このとき「さくら」は、天然の俳人なのだ。自然詠のかたちをとりながら、句自体が一つの俳論になっているのもユニーク。長年のキャリアがあってこその、これは作者の「奇術」である。原子さんは、最近車イスの人になられたと仄聞した。「俳句研究」誌に連載されている[わたしの昭和俳句]は、近来まれに見る面白い読み物だ。私的俳壇史だが、社会的な時代背景の提示にあたっての、素材の適切な取捨選択ぶりには唸ってしまう。そのことによって、登場人物がみな輝いている。これほどに読ませる俳壇史が、これまでに書かれたことがあったろうか。俳句に興味のない人までをも、引き込んでしまう書き振りだ。これまた「奇術」にして「仁術」と言うべきか。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


April 0242000

 うまや路や松のはろかに狂ひ凧

                           芝不器男

事としての凧揚げの季節は、地方によってまちまちだ。長崎は四月、浜松は五月など。俳句では春の季語としてきた。句の凧は行事には無関係で、たまたま揚がっていた凧を目撃している図。「うまや路(じ)」は「駅路」と書き、宿場のある街道のこと。作句された場所も年代もわかっており、不器男の住んだ伊予の山峡沿いの街道で、1928年(昭和三年)に詠まれた句である。宇和島からの物資輸送に使われた街道筋の宿場町だ。風が強い日だったのだろう。街道の松の木のはるか彼方に、上下左右に激しく動き回る凧が小さく見えている。悠々と揚がっていれば、いかにも春らしいのどかな光景だが、凧が狂っているので、作者は落ち着かない。のどかなはずの光景を、遠くの凧が引っ掻いている。いささかオーバーに言えば、作者の近代的不安を極めて古典的な表現様式で言い当てた句と解釈できる。自然に「絶妙の技」という言葉が浮かんでくる。この句を得た二年後に、不器男は二十七歳にも満たぬ若さで亡くなった。作句期間も四年ほどという短さ。その余りある才を惜しんで、没後四年目に横山白虹が限定三百部の『不器男句集』を編み、百七十五句が収められた。(清水哲男)




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