GW欧州便は満席。本当はあちらは六月がよいのだが。「六月はいっせいに花開く」という曲がある。




2000ソスN4ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2542000

 桃咲いて五右衛門風呂の湯気濛々

                           川崎展宏

かい夕刻のまだ明るい時間。作者は、宿泊先の民家で一番風呂のご馳走にあずかっている。五右衛門風呂はたいてい、母屋から少し離れた小屋に据えられているので、窓を開けると山や畑地がよく見える。眺めると点在する桃の花は満開であり、濛々たる湯気のむこうに霞んでいる。まさに春爛漫のなかでの大贅沢、天下を取ったような心持ちだろう。五右衛門風呂は鉄釜で湯をわかす素朴な仕組みの風呂で、名前は石川五右衛門がこれで釜ゆでの刑に処せられたという俗説に基づく。入浴時には水面に浮かべてある底板(料理で言えば落とし蓋みたいな感じの板)を踏んで下に沈めて入るのだが、これが慣れないと難しい。踏み外すと、大火傷をしかねない。弥次喜多道中で二人とも入り方がわからず、仕方がないので下駄を履いて入ったという話は有名だ。すなわち、江戸には五右衛門風呂がなかったとみえる。西の方で普及していた風呂釜のようだ。私が育った戦後の山口県の田舎でも、ほとんどの家が五右衛門風呂で、三十年ほど前までは現役だったけれど、さすがに今ではみなリタイアさせられてしまっただろう。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


April 2442000

 うぐひすや寝起よき子と話しゐる

                           星野立子

くもなく暑くもない春の朝は、それだけでも快適だ。加えて、若い作者には、すこぶる寝起きのよい幼な子がいる。この場合の「寝起よき子」には、多少の親ばかぶりを加味した「かしこい子」という意味合いが含まれている。とにかく、自慢の娘(実は、現俳人の星野椿さん)なのだ。そんな娘と他愛ない会話をしているだけで、作者の気持ちは晴れ晴れとしている。ご満悦なのだ。近くで鳴いている鴬の音も、まるで我と我が子を祝福しているかのように聞こえている。そんな立子の上機嫌は、読者にもすぐに伝わってくる。昭和十年代も初期か少し前の作品だと思う。この国が大戦争へと雪崩れて行きつつあった時代だが、市井の生活者には、まだ目に見えるほどの影響は及んでいなかった。こんな朝の通りに出れば、どこからともなく味噌汁の香りが流れてき、登校前の小学生が国語読本を音読する声も洩れ聞こえてきただろう。戦前の映画で、そのような雰囲気のシーンを見たことがある。「時は春、日は朝、朝は七時、……」と書いたのはロバート・ブラウニングだったと記憶するが、句の鴬の鳴き声も、作者にはきっとこのように響いていたのではあるまいか。『立子句集』(1937)所収。(清水哲男)


April 2342000

 揚げ物の音が窓洩れ春夕焼

                           三村純也

に「夕焼」といえば、夏の季語。もちろん一年中「夕焼」は現れるが、季節ごとにおもむきは異る。「春の夕焼」はいかにもやわらかく、夏近しを思わせる光りを含んでいて心地よい。そんな夕焼け空の下で、近所の家から揚げ物をする音が聞こえてくる。暖かいので、窓も細目に開けられているのだろう。だとすれば、美味しそうな匂いも漂ってきている。生活の音にもいろいろあるが、台所からのそれは、とりわけて人の心をほっとさせる。食事の用意には、家族の健康と平和が前提になるからだ。べつに何ということもない句ではあるけれど、この句もまた、揚げ物の音のように読者をほっとさせてくれる。このようにほっとさせてくれる句を、無条件に私は支持したい。他の文芸では、なかなか得られぬ感興だからである。作ろうとしてみるとわかるが、意外にこういう句はできないものである。凡句や駄句と紙一重のところで、ほっとさせる句はからくも成立しているとがよくわかる。いうところの無技巧の技巧が要求される。下手を恐れぬ「勇気」が必要となる。だから、難しい。「俳句文芸」(2000年4月号)所載。(清水哲男)




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