暦の上では単に普通の火曜日。なのに、我が職場も含めて世間はすっかりお休みモードに入ってる。




2000ソスN5ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0252000

 行く春のお好み焼きを二度たたく

                           松永典子

きに人は、実に不思議で不可解な所作をする。「お好み焼き」ができあがったときに、「ハイ、一丁上りッ」とばかりにコテでポンと叩くのも、その一つだ。たいていの人が、そうする。ただし、街のお好み焼き屋にカップルでいる男女だけは例外。焼き上がっても、決して叩いたりはしない。しーんと、しばし焼き上がったものを見つめているだけである。逆に、これまた不思議な所作の一つと言ってよい。句は、自宅で焼いている光景だろう。大きなフライパンかなんかで、大きなお好み焼きができあがった。そこで、すこぶる機嫌の良い作者は、思わずも二度叩いてしまった。ポン、ポン(満足、満足)。折しも季節は「行く春」なのだけれど、感傷とは無関係、これから花かつおや青海苔なんぞを振りかけて、ふうふう言いながら家族みんなで食べるのだ。元気な主婦の元気ですがすがしい一句である。ここで、いささかうがったことを述べておけば、作者は憂いを含む季語として常用されてきた「行く春」のベクトルを、180度ひっくり返して「夏兆す」の明るい意味合いを込めたそれに転化している。句が新鮮で力強く感じられるのは、多分にそのせいでもある。『木の言葉から』(2000)所収。(清水哲男)


May 0152000

 縄とびの純潔の額を組織すべし

                           金子兜太

心に縄とびをして遊んでいる女の子。飛ぶたびに、おかっぱの髪の毛が跳ね上がり、額(ぬか)があらわになる。この活発な女の子のおでこを、作者は「純潔」の象徴と見た。「純潔」は、いまだ社会の汚濁にさらされていない肉体と精神のありようだから、それ自体で力になりうる。「純真」でもなく「純情」でもなく「純潔」。一つ一つの力は弱かろうとも、かくのごとき「純潔」を「組織」することにより、世の不正義をただす力になりうると、作者は直覚している。このとき「すべし」は、他の誰に命令するのではなく、ほかならぬ自分自身に命令している。自分が自分に掲げたスローガンなのである。実は今日がメーデーということで、ふっとこの句を思い出した。メーデーのスローガンも数あれど、すべてが他への要求ばかり。もとよりそれが目的の祭典なので難癖をつける気などないけれど、句のようなスローガンがついに反映されることのない労働運動に、苛立ちを覚えたことはある。若き兜太の社会に対する怒りが、よく伝わってくる力作だ。無季句。『金子兜太全句集』(1975)所収。(清水哲男)


April 3042000

 つばくらや嫁してよりせぬ腕時計

                           岡本 眸

半世紀前の句。そのころの、ごく一般的な主婦の心情と言ってよいだろう。いわゆる専業主婦の作者が、買い物の道すがらでもあろうか、ついと飛ぶ「つばくら(燕)」の姿を見かけた。ああ、もうこんな季節にと、陽光に目がまぶしい。勤めていたころには日々忙しく、燕の飛来などに時の移ろいを感じるよりも、腕時計の表示に追われてあくせくしていた。どんどん、時は容赦なく過ぎていった。それが「嫁(か)して」より腕時計の必要のない生活に入り、こうしてゆったりと時の流れを実感することができている。言い慣らされた言葉だが、いまここにある小さな庶民的幸福感を詠んだ句だ。ただ哀しいことに、この句が詠まれた一年後に、作者の伴侶は急逝している。句とそのこととはもとより無関係なのだが、一読者としてそのことを知ってしまった以上は、掲句に対して冷静のままではいられない。人間、一寸先は闇。これまた言い慣らされたそんな言葉を胸の内に立ち上げて句に戻ると、まぶしくも辛いものがこみ上げてくる。『冬』(1976)所収。(清水哲男)




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