逮捕されるのは十代と五十代。この他人丼的「親子丼」に共通するやるせないほどの短慮とは何か。




2000ソスN5ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1052000

 夏場所やもとよりわざのすくひなげ

                           久保田万太郎

場所見物。「すくひなげ」得意のひいき力士が、見事にその技で勝ってくれた。胸のすくような相撲ぶりだった。「これでなくっちゃあ」と、作者の力こぶが「もとより」にこめられている。夏場所だけに、相撲が撥ねた後の川風の心地よさも、きっと格別だろう。いかにも江戸っ子らしい、粋な味わい。技巧的ではあるが、嫌みがない。現代でも「夏場所」が特別視されるのは、その昔に神社仏塔営繕の資金を募った勧進相撲の名残りだからである。明治初期にはじまった本場所は、この夏場所と一月の春場所との二度しかなかった。しかも、一場所は十日間。すなわち「一年を二十日で暮すいい男」というわけだ。いまは六場所制だが、四場所になったのは1953年(昭和28年)のことで、昔は現在のように年中本場所興行があったわけではない。したがって、ファンの熱の入れようも大変なものだったろう。取り組みの一番一番が貴重だったのだ。加えて戦前までは、町や村のあちこちに当たり前のように土俵があり、子供から大人まで相撲人口も多かった。すそ野が広かった。だから、こういう句も生まれるべくして生まれてきたのである。平井照敏編『新歳時記』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0952000

 ぽつつりとおのが名知らぬ蛇苺

                           川島千枝

には失礼な話だが、蛇くらいしか食べないとされていたので「蛇苺」。別名を「毒苺」とも。しかし毒性はないそうで、食べられるがとても不味いということは、本欄で以前書いたことがある。食べたのは、私ではない。もっと勇気のある男だ。最近は見かけたこともないが、子供のころにはそこらへんに自生している、ありふれた植物だった。熟すと見事なほどに真っ赤な色になり、「毒苺」の先入観から「ああ、毒の色とはこういうものか」と思っていた。時として、華麗なるものは、その華麗さゆえに誤解され、うとんじられる。そんな人間間の評判も知らず「おのが名」も知らないで、「ぽつつり」と実をかかげている植物を、作者は哀れとも思い健気とも思い、哀しみを感じている。まことに理不尽な命名ではないか、と。「ぽつつりと」は「蛇苺」の立つ様の写生であると同時に、このときの作者の気持ちのありようでもある。「ぽつつりと」……か。しみじみと心に入ってくるいい言葉ですね。『深祷』(2000)所収。(清水哲男)


May 0852000

 青草の朝まだきなる日向かな

                           中村草田男

だすっかり夜の明けきらぬころ、窓を開けると、今日もいい天気。勢いよく生い茂る夏草の上には、早くも朝日が日向をつくっている。すがすがしく心地よい情景だ。胸中には、おのずから今日一日を生きるための活力がわいてくるようである。草田男は夏が好きな人で、「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る」は有名。事実、夏の句を多く残した。ところで、仕事との関係からではあるが、四十代以降からの私は早起きになった。それまでは午前四時ころに寝ていたのが、百八十度回転した。だから、私にこの句の味わいがわかったのは、二十年前くらいのことだった。これからの季節、しばらくは毎朝、青草の日向が楽しめる。たまさか曇っている朝だと、なんだか大損をしたような気にすらなってしまう。「朝日影」という言葉があって、辞書的定義では「朝の光」をさすが、これは早朝の日差しがもたらす「光」と「影」のコントラストの美しさを言った言葉だと思う。昔かよった田舎の小学校の校歌に、いきなり「朝日影」と出てきた。作詞者は、その学校の教師だったと記憶している。きっと、早起きの大好きな先生だったのだろう。『長子』(1937)所収。(清水哲男)




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