May 132000
目には青葉尾張きしめん鰹だし
三宅やよい
思わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)
March 272002
さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく
飯島晴子
季語は「さくら鯛(桜鯛)」で春。当ページが分類上の定本にしている角川版『俳句歳時記』の解説に、こうある。「桜の咲くころ産卵のために内海や沿岸に来集する真鯛のこと。産卵期を迎えて桜色の婚姻色に染まることと、桜の咲く時期に集まることから桜鯛という」。何の変哲もない定義づけだが、私は恥ずかしながら「婚姻色(こんいんしょく)」という言葉を知らなかったので、辞書を引いてみた。「動物における認識色の一種で、繁殖期に出現する目立つ体色。魚類・両生類・爬虫類・鳥類などに見られる。ホルモンの作用で発現し、トゲウオの雄が腹面に赤みをおびるなど、性行動のリリーサーにもなる」[広辞苑第五版]。そしてまた恥ずかしながら、人間にもかすかに婚姻色というようなものがあるようだなとも思った。青春ただなかの色合いだ。それにしても、飯島晴子はなんという哀しい詩人だったのだろう。こういうことを、何故書かずにはいられなかったのか。満身に、春色をたたえた豪奢な桜鯛。もとより作者も眼を輝かせただろうに、その輝きは一瞬で、すぐに「死人(しびと)は眼鏡ふいてゆく」と暗いほうに向いてしまう。滅びる者のほうへと、気持ちが動く。しかも、死人は謙虚に実直に眼鏡を拭く人として位置づけられている。句の真骨頂は、この位置づけにありと認められるが、私は再び口ごもりつつ「それにしても……」と、ひどく哀しくなってくる。川端茅舎の「桜鯛かなしき目玉くはれけり」などを、はるかに凌駕する深い哀しみが、いきなりぐさりと身に突き刺さってきた。定本『蕨手』(1972)所収。(清水哲男)
March 092005
夢のまた夢に覺めけり櫻鯛
石 寒太
季語は「櫻(桜)鯛」で春。真鯛のこと。産卵期を迎えて桜色の婚姻色に染まることと、内海や沿岸に桜の咲くころに集まってくることからの命名。ただし、おいしくなる旬は八十八夜を過ぎてからだそうだ。掲句は、作者若き日の佳作。「夢のまた夢」とは見果てぬ夢、所詮かなわぬ夢のことだから、目覚めたときにはとても悲しいものがあるだろう。「なあんだ夢か」ではすまされない絶望に近い哀しみだ。もしかするとこの鯛は既に捕われて、あるいは命を失って、作者の前に横たわっているのかもしれない。そう読めばますます悲哀感が募るけれど、しかし鯛の見た夢が見果てぬ夢であると詠むことにより、作者は美しい鯛ならではの気品と貫禄をそっと添えてやっていることがわかる。作者当時の作風について、筑紫磐井は「この作者の創る世界には、どこを探しても否定がないことに気づくだろう。否定たるべき死さえも、それは美しい生のいとなみの終焉のいろどりをそえるにすぎない」と書いている。鋭い視点だ。このまま、掲句にも当てはまる。すなわち、作者は桜鯛の悲しみを言いながら、そんな桜鯛を賞揚しているというわけだ。そして、こうした物事のつかみ方はひとり石寒太に限らず、多くの俳人に共通しているような気がする。乱暴な言い方をしておけば、同じ題材を扱っても、近代以降の詩人はこのようには書かない。いや、書けない。かつて茨木のり子は房総の禁漁区に鯛を見に行った詩で、禁漁区を設けた人間の愛が、実は鯛に対する「奴隷への罠たりうる」と書いた。多く詩人の目は、暗いほうへと向けられてきた。現代俳句文庫『石寒太句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)
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