「私には、彼ら(野球審判)がプロの仕事をしているとはとても思えない」(矢作俊彦)。同感だ。




2000ソスN5ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1452000

 母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字

                           川本けいし

の場合は「亡母」も「はは」と読むほうがよいだろう。母の日。亡き母を思い出すよすがは、むろん人さまざまだ。作者はそれを、母親が記した壺の文字に認めている。子供のころから台所にある、ごくありふれた壺に書かれた文字が母のテであったことを、いまさらのように思い出している。「しほ」という旧仮名づかいも懐しい。現代のように容器にバラエティがなかった昔、誰もが実によく分別するための文字を書いていた。そうしておかないと、塩壺も砂糖壺も味噌壺も、どれがどれやら判別がつかなくなってしまうからだ。私の祖母の年代までは、どこの家庭でもそうしていた。そのころの女性の失敗談に、よく塩と砂糖を間違えたという話が出てくるが、おおかたは壺の文字を確認せずに、勘に頼ってしまったせいである。そんな馬鹿な、見ればすぐにわかるじゃないか。そう思うのは現代人の幸福(かつ浅薄)なところで、精製方法が雑ぱくだった時代には、ちょっと見たくらいで「塩」と「砂糖」の区別などつきようもなかったのだ。母親が亡くなり、「しほ」の文字だけが残った。作者は、あらためて台所でしみじみと見入っている。なによりの追悼であり、なによりの遺産である。『俳句歳時記・新版』(1974・角川文庫)所載。(清水哲男)


May 1352000

 目には青葉尾張きしめん鰹だし

                           三宅やよい

わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


May 1252000

 かたつむり甲斐も信濃も雨の中

                           飯田龍太

たつむり(蝸牛)という小さな存在を基点に、意識をいっきょにとてつもなく大きな空間に広げてみせた芸。つとに名句の誉れ高い芭蕉の「かたつぶり角ふりわけよ須磨明石」のいわば続編で、作者は、ならばと「甲斐も信濃も」と二方向に「ふりわけ」させている。明るい雰囲気の「須磨明石」ではなく「甲斐信濃」であるところに、雨の必然の説得力もある。句を反芻していると、雨の香りまでが漂ってくるようだ。蝸牛は多品種で、日本だけでも七百種類はいるのだという。さらに柳田国男によれば地方ごとに異名も多く、二百四十以上はあるそうだ。なかでポピュラーなのは「でんでんむし」「ででむし」「まいまい」「まいまいつぶり」あたりか。「まいまい」はれっきとした学術上の和名で、これが本名。私の故郷山口では「でんでんむし」だった。昔の教科書に載っていた唱歌「かたつむり」の二番に「お前のめだまはどこにある」とあるが、モノの本には、二対の触覚の長いほうの先にあると書いてある。これで、明暗の判別くらいはできるらしい。蛇足ながら、エスカルゴ料理には食指が動かない。まさか、幼なじみの遠縁を食うわけにはいかない。泥鰌(どじょう)についても同様である。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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