ネット見物。はじめはあちこち巡っていても、だんだん固定してくる。個人の容量には限界がある。




2000ソスN5ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1752000

 女知り青蘆原に身を沈む

                           車谷長吉

書に「播州飾磨川」とある。作者の故郷の川だ。俳句ではなかなかお目にかかれない題材だが、小説家の作者にしてみれば「イロハ」の「イ」の字くらいのテーマだろう。生い茂る蘆の原に身を沈めたのは、気恥ずかしい気持ちからではない。異性を知るとは人生の一大事であり、その一大事を通過したときの虚脱感のような感覚を詠んだ句だ(と読んだ)。要するに「へたりこんだ」というに近い感覚で、だから「沈め」と止めて気取る力もなく「沈む」と言ったわけだ。背丈よりもはるかに高い青蘆の原に身をへたりこませて、半ば茫然としている若き日の作者の心持ちに、状況は違っても思い当たる読者も多いのではないか。近所に青蘆原でもあったら、私も作者と同じ行動に出ただろうと、句を読んでしみじみと思う。車谷長吉さんとの付かず離れずの長いつきあいで思い出すのは、もう三十年も昔に、角川文庫の『西東三鬼句集』を何度となく貸し借りして読み合ったことだ。彼はそのころから、神経のピリピリするような繊細な筆致で小説を書いていた。ぼおっと、蘆原にへたりこんでいるだけじゃなかった。『業柱抱き(ごうばしらだき)』(1998)所収。(清水哲男)


May 1652000

 行春や鳥啼き魚の目は泪

                           松尾芭蕉

蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄二年(1689年)の「弥生も末の七日(三月二十七日)」のこと。この日付をヒマな人(でも、相当にアタマのよい人)が陽暦に換算してみたところ、五月十六日であることがわかったという。すなわち、三百十一年前の今日のことだった。基点は「千じゅと云所」(現在の東京都足立区千住)であり、出立にあたって芭蕉はこの句を「矢立の初めとし」ている。有名な句だ。が、有名なわりには、よくわからない句でもある。まずは、季節感が生活感覚からずれているところ。江戸期だとて、いまどきの体感として晩春とは言い難いだろう。そこらへんは芭蕉が暦の「弥生」に義理立てしたのだと譲るとしても、唐突に「鳥」と「魚」を持ちだしてきた心理が不可解だ。別れを惜しんで多くの人々の見送りを受けるなかで、なぜ「鳥、魚」なのか。なぜ「人」ではないのだろうか。これでは、見送りの人に失礼じゃなかったのか。気になって、長年考えている。休むに似た考えの過程は省略するが、いまのところの私の理解は、当時の自然観との差異に行き当たっている。いまでこそ「自然」はいわば珍重されているけれど、往時はそんなことはなかった。自然は自然に自然だったのだから、自然にある人の心も他の自然のありようで自然に代表させることができたのだと思う。ややこしいが、要するに句の意味は、見送りの人に無関係な鳥や魚までもが惜別の情に濡れているという大仰なことではなくて、鳥や魚が濡れていると作者が感じれば人についても同様だと言っているにすぎない。これだけで、句に「人」は十二分に登場しているのである。
[読者からのご教示により追記・5月16日午前5時30分]岩波文庫『おくのほそ道』の付録に18世紀の芭蕉研究家・蓑笠庵梨一の『奥細道菅菰抄』が収録されています。以下、該当部分。「杜甫が春望ノ詩ニ、感時花濺涙、恨別鳥驚心。文選古詩ニ、王鮪懷河軸、晨風(鷹ヲ云)思北林。古楽府ニ、枯魚過河泣、何時還復入。是等を趣向の句なるべし」。つまり、漢詩を下敷きにしたという説。それもあるだろう。が、ここまでくると「人」の匂いがしない。どちらかと言えば故郷や山河との別れだ。芭蕉の句は「や」の切れ字に「人」としての匂いがあるために、「人」との惜別の情が表現されている。そんなふうにも思いましたが……。ううむ、朝からいささか混乱気味です。ありがとうございました。(清水哲男)


May 1552000

 はつなつのコーリン鉛筆折れやすし

                           林 朋子

雑誌広告・1956
雑誌「野球少年」広告・1956年1月号
しや、コーリン鉛筆。子供のころ、私も肥後守(小刀)で削ってよく使った。他の銘柄には「トンボ鉛筆」「三菱鉛筆」「ヨット鉛筆」「地球鉛筆」「アオバ鉛筆」など。あのころの鉛筆は折れやすく、割れやすかった。なかには芯に砂が混ざっているような粗悪品もあり、書くたびにギシギシ変な音がしたりした。コーリン鉛筆も、上等のほうじゃなかったと思う。でも、私は名前の響きが好きで愛用していた。もちろん、「コーリン」の意味などわかってなかった。英語を習うようになってから、「コーリン」は"colleen"とつづり、アイルランド英語で「(美)少女」の意味だと知ったときは嬉しかった。しかし、なぜこんな難しい言葉を銘柄に選んだのだろうか。鉛筆のマークにも女の子の絵などなかった(広告左上を見ると「花王」マークもどき)し、さぞや宣伝しにくかったろうに。よほど言葉の響きに自信があったのか。事実、私は響きに吸い寄せられたクチだけれど……。ところで、句の「はつなつ」は、理屈で考えれば他の季節とも入れ替え可能だ。鉛筆が折れやすいのは、なにも「はつなつ」とは限らない。だが、あの鉛筆の緑色がいちばん似合う季節をよく考えてみると、やはり「はつなつ」をおいて他にはないだろう。鉛筆が折れやすくて哀しかった記憶も、いまでは「はつなつ」に溶け入って甘美ですらある。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)




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