東京日の出ゴミ処分場の用地強制収用請求。かつての砂川闘争「心に杭は打たれない」を思い出す。




2000ソスN5ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2352000

 恋文の起承転転さくらんぼ

                           池田澄子

分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」という次第。さながら「さくらんぼ」のように転転としてとりとめもないのだが、しかし、そこにこそ恋文の恋文たる所以があるのだろう。微笑や苦笑や、はたまた困惑や喜びをもたらす恋文の構造を分析してみれば、その本質は「起承転転」に極まってくる。「さくらんぼ」を口にしながら、このとき作者はおだやかな微笑を浮かべているにちがいない。同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。「さくらんぼ」の転転どころではない「起承転転」もなはだしい手紙なのだ。もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


May 2252000

 たべ飽きてとんとん歩く鴉の子

                           高野素十

素十肖像
語は「鴉(カラス)の子」で夏。スズメやツバメの子の姿は親しいが、カラスの子は見たことがない。素十は写生に徹底した俳人だから、描写は正確無比のはず。カラスの子は、きっとこのようにあどけなくて可愛らしいのだろう。「とんとん」歩く姿を、一度は見てみたい。いまや都会の天敵視されているカラスも、「烏といっしょに かえりましょう」と一年生の教科書の『夕焼け小焼け』で歌われ、『七つの子』という童謡もあるほどに昔は愛すべき存在だった。それが、現在はこんな御触れ書きが出されるまでに、不幸な関係に入ってしまった。以下、近隣自治体の「お知らせ」より抜粋。「ヒナが育つこれからの時期は更に攻撃性は強まります。カラスは、捕ったり殺したりできませんので、被害を減らすためには、巣を撤去し、数を制限することが効果的な方法となります。巣の撤去は、全て樹木などの所有者の責任で行うことになっています。また、巣の中に卵やヒナがいる場合には、特別な許可が必要となります。……巣がある場合は、造園業者などに依頼して、早い時期に撤去するよう御願いします」。カラスにたまたま巣をかけられた樹木の所有者や管理者は、自分の責任で(つまり、自腹を切って)撤去すべしということ。知らなかった。気になるのは「特別な許可」の中身ですね。やがて「とんとん」歩きだす子ガラスの命を尊重するための、せめてもの法的配慮なのでしょうか。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


May 2152000

 グラジオラス妻は愛憎鮮烈に

                           日野草城

夏の花だ。村山古郷に「グラジオラス一方咲きの哀れさよ」がある。たしかに一方向に向いて咲きそろい、葉は剣の形をしている。が、少しもトゲトゲしい植物という印象はない。したがって「哀れ」とは「もののあはれ」の「あはれ」だろう。一方咲きの習性は、どうにもならぬ。こんなにも、すずやかで可憐な花なのに、何をどうしてそんなに頑張ってしまうのか。そんなグラジオラスの習性を妻のそれに例えたのが、掲句というわけだ。「愛憎」や「好き嫌い」が激しい。事物についても人物についても……。そんな細かいことまでに、いちいち愛憎をあからさまにしなくてもいいじゃないか。もっとゆったりと、安らかに生きてほしいよ。第一、そんなツンケンした態度は、あなたには似合わないのに……。そう思いながら、日々暮らしている。しかし、本日は暑さも暑し。だから、いささかのうとましい気持ちも湧いてきてしまう。「妻」はともかくとしても、引き合いに出されたグラジオラスには、いい迷惑な句ではある。こんなふうに言われたら、ますますかたくなに一方咲きに固執したくなるではないか(笑)。『俳諧歳時記・夏』(1984・新潮文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます