May 282000
されど雨されど暗緑 竹に降る
大井恒行
無季句。この句については、十五年前の初出句集に寄せた拙文があるので、そのまま書き写しておきたい。いささかキザですが……。「この鮮烈なイメージは、そのまま私の少年時代につながってしまう。竹薮を控えた山の中の粗末な家。裏山で脱皮をつづける竹の音を聞きながら、私はあらぬことばかりを考えていたようだ。雨が来ると、はたして妄想は募ったのである。そしてその妄想は、暗い緑のなかでつめたく逆上するのが常であった。不健康というにはあたるまい。むしろ妄想は、少年において健康の証ではないのか。妄想の力を伸ばしきったところに、見えていたもの。もはや少年でなくなった者は、かつてそうして見えていたものの、いわば貯金の利子をあやつって、質素に散文の世を生きていくしかないのだと恩う。晴れた目に、精神のバランスを取る。その秤を手に入れたのは少年の日であったことを、むろん大井恒行も承知している」。このページの読者にわからないのは「晴れた目に、精神のバランスを取る」の部分だろうが、拙文の前段で、句は雨降りの日にではなく、逆に「晴天」のもとで書かれたのではないか。「鏡の裏に、ひとは詩を発見するものであるらしい」と、そんな私の推測を受けた文章である。『風の銀漢』(1985)所収。(清水哲男)
June 162002
国あげてひがし日傘をさしゆけり
大井恒行
よくは、わからない。が、ずうっと気になっていた句。漠然とした理解では、「国あげて」同じ一つの方向(ひがし)に日傘の行列が歩いていくということだろう。ぞろぞろと何かに魅入られたように、みなが炎天下を同じ方角を目指して歩いているイメージは、とても不気味だ。「国あげて」だから、一億の日傘の華が開かれている。「さしゆけり」ゆえ、もはや後戻りはできない行列である。すでに出発してしまった以上は、もう誰にも止めることはできない行進なのだ。では、何故「ひがし」なのか。「日出づる処の天子」の大昔より、この国の為政者にとって東方に位置することそれ自体が価値であり、プライドの源であった。たとえば明治節の式歌にも「アジアの東、日出づるところ、ひじり(聖)の君のあらはれ(現れ)まして、……」とあって、とにかく東方は特別な方角なのだ。逆に西方には十万億土があるわけで、こちらは死後の世界だから暢気に日傘などさして行ける方角ではないだろう。つまり掲句は、国民があげて無自覚に一つの方向に引きずられていく状況を、比喩的に語っている……。ただ、よくわからないのは「ひがし」の用法だ。「ひがし」は「東」であるとしても、「ひがし『へ』」とは書いてない。もしも、この「ひがし」が方角を表していないのだとすれば、私の漠然たる理解も完全に吹っ飛んでしまう。何故、中ぶらりんに「ひがし」と吊るしてあるのだろうか。ぜひとも、読者諸兄姉の見解をうかがいたいところだ。『風の銀漢』(1985)所収。(清水哲男)
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