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May 2952000

 あきなひや蝿取リボン蝿を待つ

                           ねじめ正也

息のねじめ正一さんが有名にした「ねじめ民芸店」以前に、作者は高円寺(東京・杉並)で、乾物屋を営んでいた。私は二十代の頃、その店の前を通って出勤していたので、たたずまいもよく知っている。普通の店構えではあったが、乾物に加えて渋団扇などが並べられていたのが、ちょっと変わっていた。一度だけ、気まぐれに大きな赤い団扇を買ったことがあったっけ。乾物屋だから、夏ともなると昔(ちなみに1953年の作)は当然のことに蝿どもが群がってくる。防衛策としては、とりあえず蝿取リボンを何本も吊るすしかないわけだ。で、吊るし終えて店に座り込み、出てきた言葉が「あきなひや」であった。この呼吸が面白い。と言うか、商人でなければ発さない嘆息が、自然にぽっと吐かれている無技巧に感心してしまう。すなわち、蝿取リボンが蝿を待つように、自分もまた客を「待つ」しかない存在であるなアと、思わずも吐いてしまっているところ。「あきなひや」には、いささかの自嘲も含まれているとも読めるけれど、その前に、ふっと蝿取リボンと自分の姿を重ねてしまった驚きが感じられる。一瞬の後に、態勢を立て直してしかめっ面を取り戻しているところに、句の妙味がある。季語は「蝿取」で夏。もはや死語になっている。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)


August 0582003

 蝿叩持つておもてへ出てゆけり

                           林 朋子

るいはボケ老人のスケッチかもしれないが、前書も何もないのでそのままに受け取っておきたい。いいなあ、このナンセンスは。書かれている情景の無意味さもいいけれど、こういうことを俳句にできる作者の感性のほうが、もっと素晴らしい。寝ても覚めても「意味」だらけの暑苦しい情報化社会に、すっと涼風が立ったかのようではないか。この句をくだらないと一蹴できる人は、よほどこの世の有意味の毒がまわっている人だろう。あるいは、無意味も意味のうちであることを意味的に肯んじない呑気な人かもしれない。「蝿叩(はえたたき)」を持って「おもて」へ出ていく行為は、そこつなそれではないだろう。上半身はスーツ姿で、電車の中で下はステテコだけだったことに気がついた(某文芸評論家の実話です)というような失敗は、大なり小なり誰にでもあることだ。そうではなくて、掲句の情景はまったく無意味なのだから、笑える行為でもなければいぶかしく感じられる振る舞いでもないわけだ。ただただそういうことなのだからして、読者はそういうことをそういうこととして受け取ればよいのである。受け取って、では、何も感じないのかといえば、むしろ下手に意味のある俳句よりも、よほどこの「蝿叩」人間の行為に手応えを感じることになるはずだ。不思議なようでもあるが、私たちは別に意味に奉仕して生きているわけじゃないから、むしろそれが自然にして当然の感じ方なのだろう。……などと、掲句にぐだぐだ「意味」づけするなどは愚の骨頂だ。さあ諸君、意味を捨て蝿叩を持っておもてへ出よう。とまた、これも意味ある言い草だったか。いかん、いかん。『眩草(くらら)』(2002)所収。(清水哲男)


July 1772004

 昼寝する我と逆さに蝿叩

                           高浜虚子

の夏の生活用品で、今では使わなくなったものは多い。「蝿叩(はえたたき)」もその一つだが、句は1957年(昭和三十二年)の作だから、当時はまだ必需品であったことが知れる。これからゆっくり昼寝をしようとして、横になった途端に、傍らに置いた蝿叩きの向きが逆になっていることに気がついた。つまり、蝿叩きの持ち手の方が自分の足の方に向いていたということで、これでは蝿が飛んできたときに咄嗟に持つことができない。そこで虚子は「やれやれ」と正しい方向に置き直したのかどうかは知らないが、せっかく昼寝を楽しもうとしていたのに、そのための準備が一つ欠けていたいまいましさがよく出ている。日常生活の些事中の些事でしかないけれど、こういう場面を詠ませると実に上手いものだと思う。虚子の句集を見ると、蝿叩きの句がけっこう多い。ということは、べつに虚子邸に蝿がたくさんいたということではなくて、家のあちこちに蝿叩きを置いておかないと気の済まぬ性分だったのだろう。それかあらぬか、娘の星野立子にも次の句がある。「蝿叩き突かへてゐて此処開かぬ」。引き戸の溝に蝿叩が収まってしまったのか、どうにも開かなくなった。なんとかせねばと、立子がガタガタやっている様子が浮かんできて可笑しい。いやその前に、父娘して蝿叩きの句を大真面目に詠んでいるのが微笑ましくも可笑しくなってくる。『虚子五句集・下』(1996・岩波文庫)所収。(清水哲男)


July 2972005

 蝿叩手に持ち我に大志なし

                           高浜虚子

語は「蝿叩(はえたたき)」で夏。いまの子供のほとんどは、もう蝿叩は知らないだろう。1956年(昭和三十一年)七月の句。この当時は、どこの家庭にも蝿叩は必ずあった。「五月蝿い」という言葉があるように、夏場は蝿に悩まされたものだ。そんな必需品が無くなったということは、住環境の衛生状態が良くなったことを示しているのだが、あんなに沢山いた蝿がいなくなるほどに生物界の生態系が崩れてきているとも言えるのではなかろうか。一概に喜んでいてよいものかどうか、素人の私には判断しかねるけれど……。それにしてもまた、虚子には蝿叩の句が多い。呆れるほどだ。ことに晩年に近づいてくるほど数は多く、夏の楽しみは避暑と蝿叩くらいしかなかったのかしらんと思えてしまうくらいである。「大志」もへったくれもあるものか。我は蝿叩を持ちて、日がな一日、憎っくき蝿を追い回すをもって生き甲斐とせむ。ってな、感じである。だから「用ゐねば己れ長物蝿叩」なのであって、常時蝿叩を手にしていた様子が彷佛としてくる。こういうのもある、「蝿叩にはじまり蝿叩に終る」。こうなるともう、蝿叩愛好家、蝿叩マニアの感があり、手にしていないと落ち着けなかったのにちがいない。武士が刀を手元に置いておかないと、なんとなく落ち着かなかったであろう、そんなような虚子にとっての蝿叩なのだった。もう一句、「新しく全き棕櫚の蝿叩」。「棕櫚」は「しゅろ」、嬉しそうだなア。『虚子五句集・下』(1996・岩波文庫)所載。(清水哲男)


May 1852007

 蠅取紙飴色古き智恵に似て

                           百合山羽公

百屋や魚屋の店頭にぶら下がってた。蠅取紙と並んで、銭を入れる笊が天井から下がっている。こちらの方はまだやってるけど、蠅取紙はなくなった。小学校三年生とき、学校の帰り道に八百屋で友達とちくわを買って食べた。買い食いは学校からも親からも禁じられていたので、秘密の決断だった。美味しかったなあ。鳥取だったので、あご(飛魚)ちくわが名産。学校の遠足で海辺のちくわ工場を見学したことがあって、木造の工場の中に蠅取紙が何本も下がっていた。製造中のちくわと蠅の関係はこれ以上書くのははばかられる。この見学のあとしばらくちくわが食べられなかった。もちろん今はそんなことはないだろうけど。この句、古き智恵は蠅取紙のごときものだ、というふうに解釈すると、「古き」を嗤うアイロニーに取れる。僕は「飴色」の方に重きを置きたい。古い智恵は飴色をしている。そう思うとこの琥珀色はなかなかの重厚な色合いだ。しかも蠅まで捕るのだから捨てたものではない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


May 1652010

 蝿叩此処になければ何処にもなし

                           藤田湘子

も虫も、めったに部屋に入り込むことのないマンション生活の我が家では、一匹の蝿の音がするだけで、娘たちは大騒ぎをします。はやく窓の外に出してくれと、そのたびに頼まれますが、今やどこを探しても蝿叩きなどありません。それにしても昔は、何匹もの蝿が部屋の中を飛び回っているなんて、あたりまえの光景だったのに、いつごろから蝿の居場所はなくなってしまったのでしょうか。顔のまわりに飛び回るものがなく、わずらわしさがなくなったとは言うものの、この部屋には人間のほかにはどんな生き物もいないようにしてしまったのだなと、妙な寂しさも湧いてきます。今日の句は、一家に幾本かの蝿叩きが常備していた頃のことを詠んでいます。たしかに、蝿叩きをつるすための場所はあっても、そこにきちんとぶら下がっていることはありませんでした。前回蝿を叩いた場所の近くに、無造作に放り投げられているわけです。その、放り投げられた場所の周りに、若かった頃の家族が、ごろごろと寝そべっていた夏の日をにわかに思い出し、つらくも懐かしい気持ちなってしまいました。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)


August 0682011

 畳より針おどり出ぬ蠅叩

                           齋藤俳小星

元文庫の『現代俳句全集 第一巻』(1953)を読んでいた。八月六日の句に出会えないものか、と思ったのだがなかなかめぐり会えず、それとは別に今や非日常となった季節の言葉を詠んだ句の数々に興味を惹かれた。掲出句の蠅叩、少なくとも都会ではとんと見かけない。子供の頃は、夏とセットだった蠅。蠅取り紙のねばねばや蠅帳は、仄暗い台所の床の黒光りとこれまたセットで思い出される。思いきり叩くと、畳の弾力が蠅を仕留めた実感を伝えるのだが、その勢いで、畳から縫い針が飛び上がったという瞬間、作者の一瞬の表情が見える。針の数を数えなさい、落ちている針を踏んで血管に入ったらあっという間に脳へ行って死んでしまうのよ・・・そう言われて、子供心に恐かったのを思い出すが、畳に落ちた針は、特に畳の目にはまってしまうとなかなか見つからない。ちなみに、作者の俳号、俳小星(はいしょうせい)は、「はい、小生」、という名告りの語呂合わせだとか。〈灯を消せば礫とび来ぬ瓜番屋〉〈家の中絹糸草の露もてる〉(今井肖子)




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