June 082000
三十年前に青蚊帳畳み了えき
池田澄子
さすがの着眼。機知に富んでいて、しかもあざとくない。いつもながらセンスのよい俳人だ。そう言えば、蚊帳を吊らなくなって何年くらいになるだろう。句のように、間違いなく三十年は吊っていない。住環境によるわけだが、現在も蚊帳の必要なお宅は、この国にどのくらいあるのだろうか。ついでに、値段も知りたくなる。ところで、柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)に面白い蚊帳の句あり。「蚊屋釣りていれゝば吼る小猫かな」(宇白)。蚊帳に入れてやったら、小猫が吼(ほ)えたというのである。まさか猫が吼えるわけもあるまいが、異常に興奮した様子を詠んだようだ。吼えたのは元禄の小猫だからではなく、吉村冬彦(寺田寅彦)の随想にも出てくると宵曲が紹介している。「どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高く聳やかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命掛けのような勢で飛びかかってくる。……」。蚊帳には、猫を挑発する魔力でもあるのだろうか。もっとも、いまでは人間の子供だって吼えるかもしれないけれど(笑)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)
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