開票速報が気になって、かなりの人がずるずると起きている日。私は断固寝る。と言いながら、さて。




2000ソスN6ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2562000

 さし招く團扇の情にしたがひぬ

                           後藤夜半

人数の会合。宴席だろうか。とくに座る場所が定められていない場合、部屋に入ったときにどこに座ろうかと、一瞬戸惑ってしまう。見知らぬ人が多いときには、なおさらだ。ぐるりと見渡していると、向こうの方から「さし招く」団扇に気がついた。顔見知りではあるが、そんなに親しい人でもない。でも、その人のさし招きように何かとても暖かいものを感じたので、その「情」にしたがったというのである。一般的に「さし招く」など他人に合図を送る場合、手に持った物を使っての合図は失礼とされる。よほど親しい間柄であれば、箸を振り回して呼んだりもするが、これは例外。かつてボールペンだかシャープペンシルだかで記者を指名した首相もいたけれど、当人は格好よいつもりでも、この国のマナーとしては最低の部類に属する。したがって、掲句のシチュエーションを四角四面にとらえれば、やはり失礼なことには違いない。しかし「さし招く團扇」の様子に、そんなことは別と言わんばかりの「情」がこもっていたので、気持ち良くしたがえた。だから、あえて作者はこういう句を詠んだというわけだ。このとき、夜半は七十代か。本物の「情」の味が、身にしみてわかってくる年齢だろう。その点で、私などはまだまだほんの小僧でしかない。蛇足ながら、最近は、とんとこの「情」という言葉を聞かなくなった。「情」で「IT革命」はできないからね。『彩色』(1968)所収。(清水哲男)


June 2462000

 篠の子と万年筆を並べ置く

                           岡田史乃

語は「篠(すず)の子」。篠竹(しのたけ)の筍のことだ。小指ほどの細さで、風味がよいことから山菜として親しまれている。「篠の子の果して出でし膳の上」(細川加賀)。さて、俳句ではよく「取り合わせの妙」ということを言う。短い詩型だから、読者の思いも及ばぬ物や事象を取り合わせて並べると、その意外な組み合わせが独特の世界を築き上げる。なかにはウナギと梅干しなどのように「食いあわせ」みたいな句もある(笑)が、俳句の重要な作法の一つだ。掲句も、一見すると「取り合わせ」句に思えるかもしれないけれど、そうではないところが面白い。「篠の子」と「万年筆」を取り合わせているのは句の外なのであって、句の内側はまったくの写生句である。客観描写だ。俳句を読み慣れている読者なら、「あっ、やられた」と微苦笑するにちがいない。細くてシックな女性用の万年筆の横に、同じくらいの細さの篠の子を「並べ置く」。その行為自体にさしたる意味はないにしても、並べてみると万年筆も篠の子も、そして机上の雰囲気もが、いつもと違って見えてくるだろう。つまり、作者は日常の世界で具体的に俳句を実践し、それをレポートしたのが掲句ということになる。ちなみに、作者は俳誌「篠(すず)」の主宰者である。「史乃」を「篠」に読み替え、もう一度ひねったわけだ。『浮いてこい』(1983)所収。(清水哲男)


June 2362000

 早介が虚空をつかむ螢かな

                           湯本希杖

介は、おそらく小さな孫の名前だろう。蛍をつかまえようとして、「虚空」をつかんでしまった。孫の失敗も、また楽し。「ほれ、ほら」と声をかけながら、早介を見守る作者の慈顔が目に見えるようだ。希杖は、宝暦から天保期にかけて信州に住んだ一茶の弟子。湯田中温泉近くに「如意の湯」と名づけた別荘を建て、その子其秋とともに師を手厚く遇したという。一茶のいわばパトロンの一人で、芭蕉などもそうであったように、こうした人たちの生活支援があったからこそ、一茶らの文名も現代にまで伝えられることになった。そんな知識から句を読み返してみると、なるほど一茶への傾倒ぶりがよく現れている。そっくりと言っても、過言ではない。眼目は「虚空」にある。と言っても、もちろん句の「虚空」には近代的な味付けなどないわけで、単に物理的な「虚しい(何もない)空間」という意味だ。いまとは大違いで、昔の夜は真の闇。鼻をつままれても相手が誰だかわからないほどだったので、蛍の光りは見えても、相対的な距離感がとれないから、飛ぶ位置の見当をつけるのは大人でも難しい。したがって、可愛い早介の失敗にも笑っていられる。べつに、早介がのろまというわけじゃないのだ。これが江戸期の地方に暮らした庶民の、ごく普通の「蛍狩」の情景だろう。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)




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