願い事なんか書いても仕様がない。ひねくれていた子供時代。今でも同じだと旧友に言われる。猛省。




2000蟷エ7譛7譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

July 0772000

 少女充実あんず噛む眼のほの濁り

                           堀 葦男

心に杏(あんず)を食べている少女の姿。「ほの濁り」の「眼」の発見が卓抜だ。「充実」は少女自身の食欲への満足感を示すと同時に、作者から見た少女の身体的輝きを示している。その象徴的現象を、作者は少女の眼の「ほの濁り」に認めた。言われてみれば、「充実」とは清らかに澄むことではない。生命は濁ることにおいて、外へ外へと力を拡大していく。身体がおのずから沈殿をこばみ、沈殿させまいとおのれを撹拌する。そのことをまた、清涼というにはいささか遠い味わいの杏が保証している。このような少女像は珍しい。誰かれの詩をあげるまでもなく、清らかに澄み切った少女像は、この国の文学が得意としてきたところだ。だが、すべての実際の少女たちは、その身体性において本質的に「ほの濁」つた存在なのである。といって、掲句はミもフタもないことを言っているのではなく、むしろこの少女をいとおしく思っている。「濁り」には時間が感じられ、時間は未来性を含んでいる。作者は少女としての「充実」の先にある「女」への思いを、鋭くも「ほの」かに感じとって、そのひそやかな詠嘆を「少女充実」という固い表現に込めているのだ。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)


July 0672000

 あつきものむかし大坂夏御陣

                           夏目漱石

りゃ、物凄く暑かったろう。なにせ、みんな戦(いくさ)支度だもの。大坂夏の陣は、1615年(元和元年)夏。徳川家康・秀忠の大軍の前に、豊臣秀頼(23歳)、淀君(48歳)が自刃して果て、豊臣家が息絶えた戦であった。夏の陣のことを思うとき、たいていの人は二人の悲劇に思いをめぐらすだろうが、漱石は「さぞや暑かったろうナと」涼しい顔をしている。シニカルなまなざし。ここらへんが、いかにも漱石らしい。ほとんど「ものはづけ」の雑俳の世界だが、このように同じ事態や事象を見るときに、大きくアングルを転換させる作法も俳句が培ってきたものだ。笑える句。面白い句。この国の近代文学が「喜怒哀楽」の感情のうちの「怒哀」に大きく傾斜していった(それなりの必然性はあったにせよ)なかで、俳句だけは「喜怒哀楽」すべてを詠みつづけてきた。いまでも、詠みつづけている。実にたいしたものだと私は思っていますが、いかがなものでしょうか。ところで、あなたにとって「あつきもの」とは何ですか。漱石以上に意表を突こうとすると、これがなかなか難しい。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


July 0572000

 生き得たる四十九年や胡瓜咲く

                           日野草城

語は「胡瓜(きゅうり)の花」。観賞するような立派な花じゃない。黄色くて、たいていは炎天下でしおたれている。そんな地味な花に目をとめて、生きている喜びを分かち合えたのは、草城が病弱だったからだ。このあたり、子規によく似ている。病床六尺の世界。「四十九年」は、もとより「人生わずか五十年」が意識にあってのこと。いまでこそ「人生八十年」と言っているが、「五十年」程度が常識だったのは、そんなに遠い昔の話でもない。戦争という特殊事情もあったにせよ、たしか敗戦の年の男の平均寿命は五十歳にも達していなかった。だから、作者はよくぞここまでの感慨をもって作句しているのだ。病弱ではない人でも、齢を重ねるに連れて、花は花でも、華麗でない花や名も知らぬ路傍の花に魅かれたりする。かくいう私も、そうなりつつあるようだ。稲垣足穂の名言に「齢を重ねるうちに、人の関心は動物から植物へ、植物から鉱物へと移行する」というのがある。となれば、地味な胡瓜の花への関心などは、さしずめ鉱物へのそれの移行過程を示すものかもしれない。だいぶ前に「アサヒグラフ」で、足穂の夕食の写真を見たことがある。テーブルの上には数本のビール瓶が並んでいるだけで、後は見事に何もなかった。ちょっとした「つまみ」すらもない。その前で、奥さんといっしよに、むうっとした表情の足穂が写っていた。完璧に「鉱物」の世界の人だなと思えた。『日野草城句集』(新潮文庫)所収。(清水哲男)




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