July 202000
登山杖どちらの店のものなるや
森田 峠
有名な山の登山口には、山の用品や弁当や土産物などを売る店がひしめいている。東京で言えば、高尾山のようなところにも、そんな店が何軒か庇をつらねている。言われてみると、なるほど、店の外に出して売られている杖は、必ずどちらかに雪崩れていて、どちらの店のものか、買う身としては困惑する。店の人にはすぐわかるのだろうが、あれは親切な置き方じゃない。「峠」という名の俳人だって(笑)、戸惑うくらいなのだから……。私は山の中の育ちだから、まさか高尾山程度の山では、杖は求めない。あんな山にケーブルカーまで走らせているのは、どういう了見からなのか。買ったのは、二度の富士登山のときくらいだ。富士に「二度登る馬鹿」と言われるが、二度とも雪崩れているなかから買った。といって、重装備で行く「登山」の経験はない。かつての山の子としては、せっかく平地で暮らしているのに、何を好んで険しい山に登るのかがわからなかった。「娘さんよく聞けよ、山男にゃ惚れるなよ」など、つまらない見えっ張りの都会男の歌だと思っていた。いまでは少し考えを改めたけれど、なけなしの体力を消耗してまで山に登ろうとは思わない。もう二度と、掲句のような場面に遭遇することもないだろう。ちなみに、アメリカの有名なスポーツ誌「Sports Illustrated」の創刊号の表紙は「登山」シーンだったという。百年ほど前のこと。ついでに、日本のまあまあ有名な「Number」のそれは「重量挙げ」だった。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)
October 042001
まだ膝の震へてをりぬ鰯雲
寺西規子
山登りの句だろう。下山してきて、まだ「膝の震へ」が直らない状態で、登った山を振り返っている。その山の上には、さざ波のような「鰯雲(いわしぐも)」が広がっていた。物事をやり遂げた満足感が、見事にこの雲の様子に調和している。「膝」のチリチリした震えと、「鰯雲」のチリチリした形状と。「やったあっ」、まことに好日上天気なり。一読、読者の気も晴れ晴れとする。ただし、登山などの後で膝の筋肉が震えることを、よく「膝が笑う」と言うが、こちらの表現のほうがよかったかなとも思う。というのも、私は最初、作者が交通事故寸前の危機にあったか何かで、とても怖い体験をして、それで膝がまだ「震え」ているのかと読んでしまったからだ。この読みでも句は成立し、そんな人間の恐怖感とはまったく関係なしに、秋の雲がいつものように平和な感じで広がっているという対照の妙。怖い夢に跳ね起きて、「ああ夢だったのか」とホッとして、部屋を見回す感じに通じている。しかし掲載誌には、この句の後に「ザイル持ちし手の硬張りや水掬う」とあったので、登山の句だろうと思い直した次第だ。いずれにしても、「鰯雲」と「膝の震へ」を取り合わせた作者のセンスは、素敵だ。意外なようであって、意外ではないところが。俳誌「街」(2001年10-11月号)所載。(清水哲男)
July 042015
絵にしたき程に履かれし登山靴
中村襄介
静物画を描こうと花瓶の花と向き合ったり、旅先でスケッチブックを開いて目の前に広がる風景を写したりする時は、描こうという気持ちが先にある。それとは別に、ふと描いてみたいという衝動に駆られる時があるがそれは、ひょいと覗いた路地裏だったり、無造作に積まれた野菜だったり、およそ描かれることを意識していないようなものが多い。この句の登山靴はかなり履き込まれていてそれが今、静かに脱がれ置かれている。どれほどの大地を踏みしめてきたのか、二つと同じものはないその形は、持ち主と共に過ごした時間の形でもあり、描きたい、と思った作者に共感する次第である。『山眠る』(2014)所収。(今井肖子)
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