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2000ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2372000

 友も老いぬ祭ばやしを背に歩み

                           木下夕爾

に「祭」というと、昔は京都の葵祭(賀茂祭)を指したが、現在では各地の夏祭の総称である。この句、句会ではある程度の支持票を集めそうだが、必ず指摘されるのは「作りすぎ」「通俗的」な点だろう。「『友』って、まさかオレのことじゃねえだろうな」などのチャチャまじりに……。以前にも書いたことだが、抒情詩人であった木下夕爾の句には、どこか情に溺れる弱さがつきまとう。俳句的な切り上げがピリッとしない。その点は大いに不満だが、掲句には一見通俗的にしか表現できない必然も感じられて、採り上げてみた。二人は、祭ばやしのほうへと急ぐ人波にさからうように、逆方向へと歩いている。だから、なかなか並んでは歩けないのだ。で、友人の背後について歩くうちに、ふと彼の「背」に目がとまり、はっとした。同時に、その「背」の老いに、みずからの老いが照り返されている。もとより、その前に通俗的な句意があって、若き日には祭好きだった「友」が「いまさら祭なんかに浮かれていられるか」と言わんばかりに、黙々と歩いている姿がある。すらりと読み下せば、そういうふうにしか読めない。すらりと読んだときの「背」は比喩的なそれだ。その「背」に、私は具体を読んでしまった。だから、捨てられなかった。私の年齢が、そうさせた。成瀬櫻桃子編『菜の花集』(1994)所収。(清水哲男)


July 2272000

 川上に北のさびしさ閑古鳥

                           岡本 眸

古鳥(かんこどり)は郭公(かっこう)の別称。「かっこ鳥」とも。初夏から明るい野山で鳴いているが、どこか哀愁を誘うような鳴き声で親しまれている。「岩手行四句」のうちの一句だから、川は北上川だ。「川上に北」と舌頭に転がせば、おのずから「北上川」に定まる仕掛けになっている。こんなところにも、俳句ならではの楽しさがある。そして「北のさびしさ」とは、渋民村(現在の岩手郡玉山村大字渋民)の石川啄木に思いを馳せての感傷だろう。もちろん「やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに」の一首も、感傷の底に流れている。芭蕉に「うき我をさびしがらせよかんこどり」があるように、このときの閑古鳥の鳴き声は、いやが上にも作者の感傷の度合いを高めたのである。澄み切った青空に入道雲が湧き、川面はあくまでも清冽に明るく流れ、寂しげな閑古鳥の声が聞こえてくる。心身ともにとろけるような感傷に浸るのも、また楽し。旅情を誘う好句だ。私はこの五月に出かけてきたばかりだが、また北上川を見に行きたくなった。今日も、しきりにカッコーと鳴いているだろう。『矢文』(1990)所収。(清水哲男)


July 2172000

 女等昼寝ネオンの骨に蝉が鳴く

                           ねじめ正也

者は東京・高円寺で乾物店をいとなんでいた。店は常時開けてあるので、みなでいっせいに昼寝というわけにはいかない。妻や母などの「女等」が昼寝をしている間の店番だ。それでなくとも人通りの少ない炎天下、客の来そうな気配もないけれど……。所在なくしていると、ヤケに近くで蝉が鳴きはじめた。目でたどっていくと、ネオンを汲んだ「骨」にとまって鳴いている。いかにも暑苦しげな真昼の「町」の様子が、彷彿としてくる。作者の立場もあるが、炎天にさらされた「町」の情景を、店の中から詠んだ句は珍しいのではなかろうか。「ネオンの骨」には、うっとうしくも確かな説得力がある。句歴の長い人だが、句集は晩年に一冊しかない。子息のねじめ正一の新著というか母堂との共著である『二十三年介護』(新潮社)を読むと、そのあたりの事情がはっきりする。そろそろ句集をと人がすすめると、作者はいつも「そんなもん出せるか」と怒っていたそうだ。たった一冊の句集は、予断を許さぬ病床にあった父への、子供たちからのプレゼントだった。活字になっていないものも含めると、句稿は段ボール三箱分もあったという。『蝿取リボン』(1991・書肆山田)所収。(清水哲男)




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