@ヨk

July 2972000

 いふまじき言葉を胸に端居かな

                           星野立子

まりに暑いと身体もだるくなるが、それに伴って心も弱くなりがちだ。隙(すき)もできる。こういうときには「いふまじき言葉」も、ポロリと吐き出しそうになったりする。つい、家人にアタりたくなってしまう。でも、それを言ってはおしまいなのだ。そこで作者は涼むふりをして、家人のいない縁側へと移動した。吐き出しそうになった言葉を、からくも胸に閉じこめて……。しかし、胸に秘めた言葉が言葉であるだけに、いっこうに暑さはおさまらない。「端居(はしい)」は、家内の暑さを避けて、風通しのよい縁先などでくつろぐこと。日常的にはお目にかからない言葉だが、俳句ではいまでも普通に使われている。短い詩型だけに、縁側のある家が少なくなった現代でも重宝されているのだろう。縁側などなくても家の端に窓辺はあるから、もっぱら窓辺に倚る意味での使用例が多い。たとえば星野椿に「端居して窓一杯の山を見る」と、明確に窓辺で詠んだ句がある。星野椿は立子の娘(したがって、虚子の孫にあたる俳人)。すなわち、母の時代の「端居」は縁側で、娘の時代のそれは窓辺でというわけだ。時代は変わる。『笹目』(1950)所収。(清水哲男)


June 0262003

 紫陽花のパリーに咲けば巴里の色

                           星野 椿

来が、「紫陽花(あじさい)」は日本の花だ。日本から中国を経由して、18世紀末にヨーロッパに渡ったと言われる。しかし、皮肉なことに、日本では色が変わることが心変わりと結びつけられ、近世まではさしたる人気はなかった。『万葉集』には出てくるけれど、平安朝の文学には影も形も見られない。ところが、逆にヨーロッパ人は色変わりを面白がり、大いに改良が進められたので、現代の日本には逆輸入された品種もいくつかある。だからパリの紫陽花は改良品種ゆえ、「パリーに咲けば巴里の色」は当たり前なのだが、もちろん作者は、そんな植物史を踏まえて物を言っているわけではない。同じ紫陽花なのに、巴里色としか言いようのない色合いに心惹かれている。この街に「日本色」の紫陽花をそのまま持ってきたとしても、たぶん似合わないだろう。やはり、その土地にはその土地に似合う色というものがあるのだ。いや、その色があってこそのその土地だとも言える。ヨーロッパで紫陽花を見たことはないが、たとえば野菜の色だって微妙に異っている。そこらへんの八百屋の店先に立っただけで、なんとも不思議な気分におちいってしまう。トマトやらジャガイモやら、お馴染みの野菜たちの色合いが日本のそれとは少しずつ違うからだ。その微妙な色合いの差の集積が店内の隅々にまで広がっている様子に、よく「ああ、俺は遠くまで来てるんだ」と思ったことだった。私には、そぞろ旅情を誘われる句だ。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


February 0722011

 畦道に豆の花咲く別れかな

                           星野 椿

は出会いの季節でもあるが、別れの季節でもある。句の「別れ」がどんな別れだったのかは、知る由もない。おかげで、逆に読者はこの句に自分だけの感情を自由に移入することができる。と言っても、この「別れ」が今生の別れなどという大仰なものでないことは、添えられた「豆の花」のたたずまいから連想できる。可憐な雰囲気を持った花だ。だから青春期の一コマとして読んでもいいし、ちょっとした旅立ちの人への思いとして読んでもいいだろう。いずれにしても、また会える希望のある「別れ」として詠まれている。ただ私くらいの年齢になると、お互いにちょっとした別れのつもりが永遠のそれになったりすることも体験しはじめているので、作者の意図を越えて、句に悲哀感を加味して読むということも起きてくる。このときに「豆の花」の可憐さは少々こたえる。一期一会の象徴のように思えてきてしまう。どんな句に対しても読者の年齢にしたがって、解釈は少しずつ異なるだろう。そんな句の典型かなあと、しばし思ったことである。『金風』(2011)所収。(清水哲男)




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