August 012000
橋の名を残せる暗渠夾竹桃
星野恒彦
暗渠(あんきょ)は、蓋で覆った水路。いつのころからか、東京辺りでは川や溝にどんどん蓋をしはじめた。私の近所で言えば、三鷹駅ホーム延伸工事に伴う玉川上水への蓋。少しでも土地を広げようとしたわけだが、水の流れが地下に消えた分だけ、地上の潤いがなくなってしまった。物理的にも、精神的にも……。掲句のように、橋のかかっていたところには、消えた橋を惜しんで、名前をとどめた標識があったりする。はじめての町などで見かけると、思わず立っている地べたを見つめてしまう。周辺では、いまを盛りと夾竹桃が咲いている。このときに作者の心をよぎったのは、ここに水が流れていたころの川辺の情景だ。炎天下の夾竹桃は暑苦しさを助長するが、元来がここは水辺であったことを知ると、暑苦しさを割り引きしなければならない気分になる。そんな一瞬の微妙な気持ちの変化をとらえた句だ。べつに暑さがやわらぐわけではないけれど、なんだか納得はできたということ。人は納得の動物でもある。「暗渠夾竹桃」の漢字のたたみかけが見事。一つ一つの漢字に、作者の心理の微妙な揺れ具合が見て取れるようだ。漢字のある国に生まれた幸運すら感じさせられる。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)
July 262005
昭和ヒトケタ夾竹桃は激流なり
富田敏子
季語は「夾竹桃(きょうちくとう)」で夏。花期の長さは百日紅(さるすべり)に負けず劣らずで、秋になっても咲いている。とにかく頑健という印象が濃い。昔から毒性があると言われ(実際、強心作用のある物質を含むという)、一般家庭の庭などからは忌避されてきた。しかし、乾燥状態や排気ガスなどの公害物質にもめっぽう強いので、工場の周辺だとか高速道路脇などに多く植えられている。句の「昭和ヒトケタ」は、昭和の初年から九年までの生まれを指す。この世代はいちばん若い人でも、敗戦時には小学校(当時は「国民学校」の名称)の高学年であった。敗戦の意味もわかり、口惜しい思いもし、以後の混乱期の大変さを体感している。だから、この世代が夾竹桃の咲く季節になると必ず思い起こすのは、いまと変わらずピンクや白の花が咲き誇っていた往時のことどもだろう。まさに激動の時代、炎天下でのしたたる汗をこらえるようにして、数々の受苦をじっと耐え忍ぶしかなかった時代のあれこれのこと……。そういうことどもからすれば、群生する夾竹桃はただ単にそこに立って或る植物というよりも、むしろ激しく心をかき乱しに押し寄せてくる「激流」のようではないか。いや、激流そのものなのだ。この世代の人はみな、いまや七十代である。その七十代に、今年の夏もまた激流が押し寄せてきた。『ものくろうむ』(2003)所収。(清水哲男)
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