cmq句

August 0282000

 まくなぎをはらひ男をはらふべし

                           仙田洋子

川版歳時記による「まくなぎ」の説明。「糠蚊の一種で、ひと固まりになって上下にせわしく飛んでいる。夏の野道などで、目の前につきまとい、はなはだ小うるさい。黒色をしていることはわかるが、あまり近くで飛ぶため、はっきり見定めがたい」。また河出版には「俗に糠蚊という虫で、種類が多い。夏の夕方、野道で人の顔の高さぐらいのところに微細な虫が群れ飛んでいて、顔につきまとい、目に入ったりして、うるさい。払っても離れない。ときには人の血を吸うものもいる」とある。この「糠蚊」の部分を「男」に入れ替えると、掲句の「はらふべし」の必然性が明瞭になる。それにしても、こうはっきりと言われては、どんな男だって引き下がるしかないだろう。まいりました、失礼しました。そんな女心に気がついてかつかないでか、後藤夜半に「まくなぎのまとふ眦美しや」がある。「眦」は「まなじり」。この男もまた、即刻「はらふべし」か、どうか(笑)。なお、掲句の原文は最初から平仮名表記だが、「まくなぎ」の漢字はひどくややこしい。夜半は漢字を使っているのだけれど、第二水準漢字にも入っていないので表示できなかった。この漢字も、我が辞書から打ち「はらふべし」。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997)所載。(清水哲男)


September 1692008

 月夜茸そだつ赤子の眠る間に

                           仙田洋子

夜茸は内側の襞の部分に発光物質を含有し、夜になると青白く光るためその名が付いたという。一見椎茸にも似ているが、猛毒である。ものごとにはかならず科学的根拠があると信じているが、動き回る必要のない茸がなぜ光るのかはどうしても納得できない。元来健やかな時間であるはずの「赤子の眠る間」のひと言にただならぬ気配を感じさせるのも、月夜茸の名が呼び寄せる胸騒ぎが、童話や昔話を引き寄せているからだろう。ふにゃふにゃの赤ん坊の眠りを盗んで、茸は育ち、光り続けるのだと思わせてしまう強い力が作用する。不思議は月夜によく似合う。あちこち探して、月夜茸の写真を見つけたが、保存期限が過ぎているため元記事が削除されてしまっていた。紹介するのがためらわれるほど不気味ではあるが、ご興味のある向きはこちらで写真付き全文をご覧いただける。タイトルは「ブナの林に幻想的な光」。幻想的というよりどちらかというと「恐怖SF茸」という感じ。〈水澄むや盛りを過ぎし骨の音〉〈鍋釜のみんな仰向け秋日和〉『子の翼』(2008)所収。(土肥あき子)


August 0382014

 雲は王冠詩をたづねゆく夏の空

                           仙田洋子

者は、稜線を歩いているのでしょう。標高の高い所から、雲を王冠のように戴いている山を、やや上に仰ぎ見ているように思われます。「雲は王冠」の一言で詩に出会えていますが、夏の空にもっともっとそれをたづねてゆきたい、そんな、詩を求める心がつたわります。句集では、掲句の前に「恋せよと夏うぐひすに囃されし」、後に「夏嶺ゆき恋する力かぎりなし」があり、詩をたづねる心と恋する力が仙田洋子という一つの場所から発生し、それを率直に俳句にする業が清々しいです。また、「橋のあなたに橋ある空の遠花火」「国後(クナシリ)を遥かに昆布干しにけり」といった、彼方をみつめる遠い眼差しの句がある一方で、「わが胸に蟷螂とまる逢ひに行く」「逢ふときは目をそらさずにマスクとる」「雷鳴の真只中で愛しあふ」といった、近い対象にも率直に対峙する潔い句が少なくありません。詩に対する、恋に対する真剣さが、瑞々しさとして届いています。ほかに、「踏みならす虹の音階誕生日」。『仙田洋子集』(2004)所収。(小笠原高志)




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