金太郎の腹掛けをしている子供を見なくなりましたね。もう、売ってないのかな。可愛らしいのに。




2000ソスN8ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0382000

 夕立の祈らぬ里にかかるなり

                           小林一茶

っと読んで、意味のとれる句ではない。「祈らぬ里」がわからないからだ。しかし、夕立が移っていった里に、何か作者が祈るべき対象があることはうかがえる。まだ祈ってはいないけれど、まるで作者のはやる気持ちが乗り移ったかのように、夕立が大粒の涙を流しに行ってくれたのだという感慨はわかる。悲痛な味わいが漂う句だ。『文化句帖』に載っている句で、このとき一茶が祈ろうとしていたのは、その里にある一基の墓であった。墓碑銘は「香誉夏月明寿信女」。眠っている女性は、一茶の初恋の人として知られている。一茶若き日の俳友の身内かと推察されるが、生前の名前なども不明だ。彼女が亡くなったのは十七歳、一茶はわずかに二十歳だった。そして、この「夕立」句のときが四十四歳。つまり、二十五回忌追善のための旅の途中だったというわけだ。いかに一茶が、この女性を愛していたか、忘れることができなかったかが、強く印象づけられる句だ。男の純情は、かくありたし。しかも、実はこの句を詠んだ日は、彼女の命日にあたり、縁者による法要が営まれているはずの日であった。だが一茶は、故意に一日だけ「祈る」日をずらしている。人目をはばかる恋だったのだろう。(清水哲男)


August 0282000

 まくなぎをはらひ男をはらふべし

                           仙田洋子

川版歳時記による「まくなぎ」の説明。「糠蚊の一種で、ひと固まりになって上下にせわしく飛んでいる。夏の野道などで、目の前につきまとい、はなはだ小うるさい。黒色をしていることはわかるが、あまり近くで飛ぶため、はっきり見定めがたい」。また河出版には「俗に糠蚊という虫で、種類が多い。夏の夕方、野道で人の顔の高さぐらいのところに微細な虫が群れ飛んでいて、顔につきまとい、目に入ったりして、うるさい。払っても離れない。ときには人の血を吸うものもいる」とある。この「糠蚊」の部分を「男」に入れ替えると、掲句の「はらふべし」の必然性が明瞭になる。それにしても、こうはっきりと言われては、どんな男だって引き下がるしかないだろう。まいりました、失礼しました。そんな女心に気がついてかつかないでか、後藤夜半に「まくなぎのまとふ眦美しや」がある。「眦」は「まなじり」。この男もまた、即刻「はらふべし」か、どうか(笑)。なお、掲句の原文は最初から平仮名表記だが、「まくなぎ」の漢字はひどくややこしい。夜半は漢字を使っているのだけれど、第二水準漢字にも入っていないので表示できなかった。この漢字も、我が辞書から打ち「はらふべし」。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997)所載。(清水哲男)


August 0182000

 橋の名を残せる暗渠夾竹桃

                           星野恒彦

渠(あんきょ)は、蓋で覆った水路。いつのころからか、東京辺りでは川や溝にどんどん蓋をしはじめた。私の近所で言えば、三鷹駅ホーム延伸工事に伴う玉川上水への蓋。少しでも土地を広げようとしたわけだが、水の流れが地下に消えた分だけ、地上の潤いがなくなってしまった。物理的にも、精神的にも……。掲句のように、橋のかかっていたところには、消えた橋を惜しんで、名前をとどめた標識があったりする。はじめての町などで見かけると、思わず立っている地べたを見つめてしまう。周辺では、いまを盛りと夾竹桃が咲いている。このときに作者の心をよぎったのは、ここに水が流れていたころの川辺の情景だ。炎天下の夾竹桃は暑苦しさを助長するが、元来がここは水辺であったことを知ると、暑苦しさを割り引きしなければならない気分になる。そんな一瞬の微妙な気持ちの変化をとらえた句だ。べつに暑さがやわらぐわけではないけれど、なんだか納得はできたということ。人は納得の動物でもある。「暗渠夾竹桃」の漢字のたたみかけが見事。一つ一つの漢字に、作者の心理の微妙な揺れ具合が見て取れるようだ。漢字のある国に生まれた幸運すら感じさせられる。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)




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