伊藤彦造展。敗戦後こんなにも武士を描いた画家は珍しい。娯楽の名の下で武士道の喪失を哀しむ心。




2000ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182000

 落ちてゐるのは帰省子の財布なり

                           波多野爽波

敷の隅に財布が落ちている。置いてあるのではなく、落ちている。財布や手帳などは、使い慣れた持ち主にはなんでもないものだが、それ以外の人には異物と写る。作者も異物と認め、ハテナと首をかしげるほどもなく、もちろん気がついた。ひさしぶりに帰省した子供の財布だ。上着を脱いだときに、内ポケットから滑り落ちたのだ。拾ってちらと眺め、高いところに置いてやる。帰省子は、早速の入浴か、疲れて昼寝中か。いずれにしても旅装を解いて、くつろいでいる。掲句は、二つのことを言っている。拾った父親としては、いつの間にかちゃんとした財布を持つまでになった子の成長に感嘆し、子供は財布を落としたことにも気づかないことで、はからずも実家への最高の安堵感を示した……。たった十七文字で「実家」の構造を的確に描き出した腕前は、見事と言うしかない。このような場景なら、それこそどこにでも落ちている。拾い上げられるかどうかは、やはり修練の多寡によるのだろう。帰省といえば、芝不器男に「さきだてる鵞鳥踏まじと帰省かな」という名句がある。この世で最高に安堵できるところは、もう目と鼻の先なのだ。はやる心を抑えながらも、ついつい急ぎ足になってしまう。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)


August 1082000

 土砂降りの映画にあまた岐阜提灯

                           摂津幸彦

阜提灯は、すずやかで美しい。細い骨組に薄い紙を貼り、花鳥草木が色とりどりに描かれている。元来は、夏の軒端などに吊るして涼味を楽しんだもののようだが、いまは盆の仏前にそなえる提灯として知られている。盆提灯とも言う。掲句の「土砂降りの映画」は、映画に大雨が写っているのではないだろう。傷のついたフィルムを映写すると、雨が降っているように見える。このフィルムは相当に古いのか、傷だらけで、土砂降りのように見えるというわけだ。そんな場面に、たくさんの岐阜提灯が写っている。きゃしゃな岐阜提灯だから、こんなに「土砂降り」のなかでは、たちまちにして崩れ散ってしまいそうだ。その無惨を思って、作者は一瞬目をそらしたかもしれない。そんな錯覚を書き留めた句。まったくのフィクションかもしれないけれど、画面の様子は目に見えるようである。そして言外にあるのは、土砂降りであろうが、死者の霊は必ず戻ってくるということだろう。そのためにも、これらの岐阜提灯は、なんとしても守られなければならぬ。と、咄嗟の優しい心情がにじみ出ている。こう詠んだ摂津幸彦も他界してしまった。間もなく旧盆だ。彼を迎える仏前には、どんな盆提灯が優しくそなえられるのだろう。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)


August 0982000

 ひぐらしに寡婦むらさきの着物縫ふ

                           藤木清子

分のために縫っているのではないだろう。むらさきの着物は派手だから、「寡婦(かふ)」にはそぐわない。他家から注文のあった仕立物に精を出しているうちに、いつしか「ひぐらし」の鳴く夕暮れとなった。働く「寡婦」と「ひぐらし」の取り合わせが、寂寥感を演出する。そしておそらく、この着物の仕立てを注文したのは、作者自身なのだ。推定の根拠は、掲句の少し後に詠まれた「縁談をことはる畳なめらかに」にある。そしてこれまた推定でしかないが、着物を縫っている人は戦争未亡人だと思う。そこに、掲句のポイントがあるのではなかろうか。藤木清子には戦争を詠んだ句が多数あり、「戦死者の寡婦にあらざるはさびし」「戦争と女はべつでありたくなし」などが目につく。みずから戦争に与する意志が明確で、なんと好戦的な女性かと思われるムキもあるだろうが、当時の一般的な戦争に対する心情を代弁しているだけの内容だと読む。ほとんどスローガンなのだ。以前にも書いたけれど、彼女は戦争期に突然筆を折った後、消息すらわからなくなってしまった。戦後、生きのびた多くの俳人が戦争句を捨てたなかで、捨てようにも捨てられなかった彼女の句は、結果として「残ってしまった」のである。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます