ビールとTVの高校野球とプロ野球と。こんな夏が何年つづいたろうか。ときどき情けなくもなります。




2000ソスN8ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1382000

 別宅という言葉あり蝉しぐれ

                           穴井 太

いたいが、この人はよくわからない句をたくさん作った。私など、句集を読んでも半分以上はわからない。この句も、然り。ただ、わからないながらも、何となく気になる句が多いのだ。読者の琴線に触れるというよりも、琴線に近いところまではすうっと近づいてくる。が、それ以上は何も言ってくれない。そのたびに苛々させられるのだが、かといって、縁切りにはされたくないと思ってきた。もしかすると、こうした「もどかしさ」の魅力が、穴井太を俳句作家として支えていたのかもしれない。掲句からわかることは、読んで字のごとし。「蝉しぐれ」のなかで、ふと「別宅」という言葉を思い出したと書いているだけだ。作者は長い間、中学校の教員だった。してみると、夏休み中の早い勤務帰りだろうか。「別宅」には別邸や別荘とは違って、「本宅」にいる本妻とは異なる女性の影がある。単に、別の家という意味じゃない。永井荷風のように、常に「別宅」のあった文学者もいたわけで、これからそういう家に行く途中の自分を、ふっと空想したということなのだろう。そうだとしたら、この暑苦しいだけの「蝉しぐれ」も、よほど違って聞こえただろうに。でも、現実は「言葉」だけでのこと。人生には、実に「言葉」だけの世界が多いなア。一瞬の空想の空疎さを、力なく笑ってしまったというところか。蝉しぐれはいよいよ激しく、なお「本宅」までの道は遠い。……とまあ、これも一読者としての私の「蝉しぐれ」のなかの「言葉」だけでしかないのである。『穴井太句集』(1994)所収。(清水哲男)


August 1282000

 いつまでも捕手号泣す蜥蜴消え

                           今井 聖

合に敗れたチームの「捕手」が、ベンチ脇の草叢に突っ伏して、声をあげて泣いている。プロテクターやレガーズをつけたままだから、「捕手」と知れる。チームメイトが肩などを叩いてやるが、いつまでも泣きやまない。高校野球の地方予選では、ときおり目にする光景だ。このときに「蜥蜴(とかげ)消え」とは、彼の夏が終わったことを暗示している。「蜥蜴」は夏の季語。でも、なぜ「蜥蜴」なのだろうか。彼が「捕手」だからだと、私は読んだ。「捕手」の目は、ナインのなかで一番地面に近い。グラウンドの片隅にある投球練習場所の近くには、たいてい草叢があるので、そこに出没する「蜥蜴」を、彼はいつも目にしてきたわけだ。他の選手は、草叢に「蜥蜴」がいることさえ知らないだろう。でも、負けてしまったので、この夏にはもう「蜥蜴」を見ることもないのである。したがって、作者は「蜥蜴消え」と押さえた。投手を詠んだ句は散見するが、素材に「捕手」を持ってくる句は少ない。地味なポジションに着目するあたり、作者はよほどの野球好きなのだろうか。「グロウブを頭に乗せて蝉時雨」と、微笑を誘われる句もあるので、相当に熱心な人のようではある。「俳句文芸」(2000年8月号)所載。(清水哲男)


August 1182000

 落ちてゐるのは帰省子の財布なり

                           波多野爽波

敷の隅に財布が落ちている。置いてあるのではなく、落ちている。財布や手帳などは、使い慣れた持ち主にはなんでもないものだが、それ以外の人には異物と写る。作者も異物と認め、ハテナと首をかしげるほどもなく、もちろん気がついた。ひさしぶりに帰省した子供の財布だ。上着を脱いだときに、内ポケットから滑り落ちたのだ。拾ってちらと眺め、高いところに置いてやる。帰省子は、早速の入浴か、疲れて昼寝中か。いずれにしても旅装を解いて、くつろいでいる。掲句は、二つのことを言っている。拾った父親としては、いつの間にかちゃんとした財布を持つまでになった子の成長に感嘆し、子供は財布を落としたことにも気づかないことで、はからずも実家への最高の安堵感を示した……。たった十七文字で「実家」の構造を的確に描き出した腕前は、見事と言うしかない。このような場景なら、それこそどこにでも落ちている。拾い上げられるかどうかは、やはり修練の多寡によるのだろう。帰省といえば、芝不器男に「さきだてる鵞鳥踏まじと帰省かな」という名句がある。この世で最高に安堵できるところは、もう目と鼻の先なのだ。はやる心を抑えながらも、ついつい急ぎ足になってしまう。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)




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