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August 2682000

 芋茎和へ出羽三山は夜に入る

                           大沢知々夫

刻の台所で「芋茎(ずいき)」を和えていると、はや「出羽三山」(月山・羽黒山・湯殿山)は夜に入ったと言うのである。ぐんぐんと日が短くなってきた感覚を、スケール豊かに反映させた句。小さな厨房を大きな「出羽三山」の漆黒に取り巻かせたところが、印象を強く残す。漆黒の闇の奥には、既に厳しい冬の気配も兆しているのだろう。「芋茎」は、里芋の茎だ。残念ながら、和えて食べたことはない。ご飯のおかずではなく、ちょっとした酒肴なのだろうか。私の少年時代には、ご飯のおかずとして、醤油と砂糖でやわらかく煮て食べた。でも、和え物にせよ煮物にせよ、それなりの風味はあるのだろうが、子供が好きになれる食べ物じゃないと思う。農家だったので、里芋の茎なんぞは捨てるほどあったし、事実大半は捨てていた。畑の隅に、山と積んで放置したのである。腐らせて、体裁よく言えば、土に返していた。ところが、子供だった私たちは、このクズでしかない芋茎の新しい使い道を考えついた。野球のボールの代わりにするのである。細い部分を切り取ってくるくるっと巻いてから紐で堅く縛り、そいつを投げたり打ったりした。本物のボールなどなかったころだから、この使い道は、たいした発見だった。資源は豊富というよりも、無尽蔵に近い。いつでも、ニュー・ボールが入手できる理屈だ。井上ひさしの『下駄の上の卵』にも「里芋の茎ボールで練習するより仕方ねえな」と出てくる。後年この小説を読んだときに、「仕方ねえ」のは全国的だったと知ると同時に、子供の知恵も全国共通だったんだなと驚きもし、感心もした。「味の味」(2000年9月号)所載。(清水哲男)




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