August 302000
青瓢ふらり散歩に出でしまま
櫛原希伊子
瓢(ふくべ)は瓢箪(ひょうたん)の実。まだ青い瓢が、ふらりと下がっている。この様子を「散歩」の「ふらり」にかけた句。ちょっとそこまでと出かけて、なかなか戻ってこない人。悪友に出くわして赤提灯にでもしけこんだか、麻雀屋でジャラジャラはじめてしまったか。待つ身としては腹立たしくもあり、その毎度の暢気さが可笑しくもあり……。最初に、私はこう読んだ。しかし、作者の自註によると、そんな暢気な話ではなかった。「散歩に行ってくるよと、そのまま帰らぬ人となった友がいる。この次、何が起るか知れぬ不安」を詠んだ句だった。もちろん、句だけからここまで読み取ることはできないだろう。だが、注意深く読むと、なるほど単に暢気な人の様子を詠んでいるのではないことはうかがえる。キーは「青瓢」の「青」にある。この「青」は、上五に「瓢」を安定させるための修辞的な付けたしではない。「青」に若い生命を象徴させて、句全体にかぶせられていたのだった。暢気を詠むのであれば、たとえば「瓢箪や」くらいのほうが効果的だろう。「青瓢ね、ああ、瓢箪だからふらりだね」と読んでしまった私が軽率だった。暢気だった。十七音、おそるべし。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)
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