cq句

August 3182000

 夏休み果つよ音痴のハーモニカ

                           中谷朔風

かった夏休みも、今日でおしまいだ。何事につけ、おしまいには寂寥感が漂う。作者はおそらく、休みの間中、近所の家から聞こえてくる子供の下手なハーモニカに悩まされつづけたのだろう。熱心なのは結構だが、ひどい調子外れだけは何とかならないものか、と。でも、それも今日でおしまいだと思うと、逆になんだか寂しい気持ちになってくる。ピアノやバイオリンなどよりも、ハーモニカの音色そのものが寂しさを伴っているので、寂寥効果を引き上げている。「音痴のハーモニカ」がおしまいになれば、作者の夏もおしまいである……。夏休みの終わりといえば、嶋田摩耶子に「夏休み最後の午後の捕虫網」がある。まだ宿題ができていなくて昆虫採集に励んでいるのか、あるいはいつもと同じ調子で捕虫網を振り回しているのか。いずれにしても、もう明日からはこの活発な様子は見られない。「最後の午後」と言い止めたところに、やはりいくばくかの寂寥の心が滲んでいる。「もう、秋か」。ランボーの詩句がよみがえるのも、今日。新潮社版『俳諧歳時記・夏』(1968)所載。(清水哲男)


December 19122004

 賀状書く心東奔西走す

                           嶋田摩耶子

語は「賀状書く」。私もそうだが、今日あたりは賀状書きに専念する人が多いだろう。そういう日に読むと、この句はまさにどんぴしゃりだ。「東奔西走(とうほんせいそう)」には、二つの意味が重ねあわされていると思う。一つは、賀状の宛先は全国各地に散らばっているので、それぞれの地域に束の間あわただしく思いを馳せての「東奔西走」である。もう一つは、賀状書き以外の年用意のことが気になってのそれだ。賀状書きも大事だけれど、新年を迎えるまでにやるべきことが他にもたくさんある。書きながら、ついつい他のあれもこれもと「心」が飛び回り、なかなか落ち着けない状態を言っている。むしろ後者の意味に、句の比重がかけられているような……。もっとも、最近は宛名をプリンターで刷りだしている人が増えてきたので、前者のような心持ちは薄れているだろう。私は宛先のみ、いまだに手書きだ。受け取る相手に失礼というよりも、どこかを手書きにしないと出した実感が残らないからである。手応えが無い。さて、今日は何枚書けるだろうか。年内の原稿仕事も何本か残っていて、しかも締め切り日が過ぎているのもあって、きっと「心」は大いに「東奔西走」することだろう(笑)。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


August 0482012

 素晴らしき夕焼よ飛んでゆく時間

                           嶋田摩耶子

和三十四年、作者三十一歳の時の作。星野立子を囲む若手句会、笹子会の合同句集『笹子句集 第二』(1971)の摩耶子作品五十句の最初の一句である。時間が飛んでゆくとは、と考えてしまうとわからなくなる、圧倒的な夕焼けを前にして何も言えない、でも何か言いたい、そう思いながら思わず両手を広げて叫んでしまったようなそんな印象である。さらに若い頃には〈月見草開くところを見なかつた〉〈地震かやお風呂場にゐて裸なり〉など、いずれも夏の稽古会での作。そしてその後も自由な発想を持ち続けていた作者だが先月、生まれ育った北海道の地で療養の末帰らぬ人となった。華やかな笑顔が思い出される。〈子を寝かし摩耶子となりてオーバー著る〉(今井肖子)




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