大相撲で四本柱が廃止された日(1952)。学生時代、柱の真後ろに席のある映画館が新京極にあった。




2000ソスN9ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2192000

 返球の濡れてゐたりし鰯雲

                           今井 聖

野球。カーンと打たれて、球は転々外野手のはるか彼方の草叢へ。ようやく返ってきたボールは、濡れていた。早朝野球で朝露がついたとも読めるが、濡れたのは、昨夜の雨のせいだ。そうでないと、頭上の「鰯雲(いわしぐも)」が輝かない。この雨では、明日の野球は無理かな。天気予報も雨を告げていることだし、あきらめて寝てしまい、起きてみたら何ということか、快晴ではないか。この嬉しさは、経験の無い人にはわからないだろう。その昔、仲間とチームを作っていたときに、何度か体験した。雨の夜、何回も起き出しては雨の様子をうかがったものだ。ただし、夜に入っての土砂降りは、まず絶望的。翌日晴れても、グラウンドそのものが乾かないからだ。あくまでも、しとしと雨。「しとしと」故、それだけ期待も抱けるのである。したがって掲句は、単にワンプレイを詠んだのではなく、野球が今日こうしてこの場でできている嬉しさを詠んだものだ。作者は、よほどの野球好きだと拝察する。探してみると、野球の句は案外たくさん詠まれているが、その多くは勝ち負けの感情に関わったもので、句のようにプレイ中の心情に触れたものは少ない。わずかに子規のベースボール句や歌には見えるものの、粗っぽすぎるところが難点だ。野球観そのものに、今日とは違いがあったせいもあるけれど、公平に考えて、今井聖の句の方に軍配を上げざるを得ない。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)


September 2092000

 秋晴や薮のきれ目の渡船場

                           鈴鹿野風呂

風呂(のぶろ)とはまた古風な俳号だが、1971年に亡くなっているから現代作家だ。京都の人。薮の小道を通っていくと、真っ青な空の下にある小さな渡船場が眼前に開けた。そこに、客待ちの舟が一艘浮かんでいる。「やれ嬉しや」の安堵の目に、何もかもがくっきりとした輪郭を持つ風景が鮮やかだ。読者もまた、作者とともにこの風景を楽しむのである。川を横切る交通手段に舟を用いたのは、掲句からもうかがえるように、古い時代ばかりじゃない。たとえば、東京の青梅線は福生駅から草花丘陵に行くには、多摩川にかかる永田橋という橋を渡るが、土地の人はいまでも「渡船場」と言う。私が草花に移住した1952年(昭和27年)には、既に木造の永田橋はかかっていたけれど、やっつけ仕事で作ったような橋の姿からして、戦後もしばらくは舟で渡っていたようだった。草花では「とせんば」と言うが、掲句では「とせんじょう」だろう。虚子門の俳人が、極端な字足らず句を詠むはずもないので……。ところで「秋晴」や「冬晴」はあっても、「春晴」や「夏晴」はない。澄み切った大気のなかの上天気が「晴」なのである。「日本晴」は秋だけだろう。この句をみつけた『大歳時記・第二巻』(1989・集英社)の解説(辻恵美子)によれば、江戸期に「秋晴」の句はないそうだ。かわるものとして「秋の空」「秋日和」があり、「秋晴」の季題は子規にはじまるという。「秋晴るゝ松の梢や鷺白し」(正岡子規)。覚えておくと、たとえ作者の俳号が古風でも、「秋晴」とあれば近現代の句だとわかる。(清水哲男)


September 1992000

 モルヒネも利かで悲しき秋の夜や

                           尾崎紅葉

村苑子が「俳句研究」に連載中の「俳句喫茶室」を愛読している。物故した俳句作家(いわゆる「俳人」だけではなく)の作品にまつわるエピソードや句の観賞がさらりとした筆致で書かれていて、その「さらり」が実に味わい深い。10月号(2000年)では、永井荷風と尾崎紅葉が採り上げられている。そこで掲句を知ったわけだが、胃癌からくる痛みを抑えるための「モルヒネ」だ。中村さんによれば、このときの紅葉はもはや筆が持てず、すべて口述筆記で表現していたという。それにしても、すさまじい執念だ。不謹慎をおもんぱかる前に、このようなヘボ句を次々に書きとめさせた意欲には、笑いだしたくなるほどの凄みがある。ひとたび俳句にとらわれ、没入すると、人は最後までこのように俳句にあい渉るものなのか。『金色夜叉』の門弟三千人の文豪でも、のたうちまわりながら、遂に俳句だけは手放さないのか。このとき、紅葉にとって俳句とは何だったのだろう。笑った後に、ずしりと重たいものが残る。文学の夜叉を感じる。だが悲しいことに、辞世の句とされる「死なば秋 露の干ぬ間ぞ面白き」は、整いすぎていて面白くない。このヘボ句の壮絶さには、とてもかなわない。口述筆記だから、途中で一文字あけた細工(ここをつづめると、たしかに座りは悪くなる)といい、弟子の誰かが死化粧をほどこしすぎたのである。そんな邪推もわいてくる。『紅葉句帳』所収。(清水哲男)




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