「アサヒグラフ」最終号発売日。全昭和時代をヴィジュアル的にカバーした唯一のメディア。寂しい。




2000ソスN10ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 04102000

 粟の穂や一友富みて遠ざかる

                           能村登四郎

(あわ)は五穀の一つ。他は、稲、麥、黍(きび)、稗(ひえ)である。芭蕉に「粟稗にまづしくもなし草の庵」とあり、昔は粟や稗を主食とする者は貧しい人たちであった。「あは」は「あはき」の略という説もあり、米などよりも味が淡いことから来ているというが、風に揺れる粟の穂の嫋々たる姿をも感じさせる命名だ。句意は明瞭。一友は、事業にでも成功したのだろう。あれほど仲がよかったのに、爾来すっかり疎遠になってしまった。かつては伴に歩いたのであろう粟畑の道を、彼ひとり「遠ざかる」姿が見えているのか。しかし、作者には、離れていった友人に対する嫉(そね)みもなければ、ましてや恨みもない。半ば茫然と、浮世の人間(じんかん)の不思議さを詠んでいる。その淡々とした詠みぶりが、粟畑をわたる秋風に呼応している。最近はさっぱり粟畑を見ないが、まだ栽培している農家はあるのだろうか。昔の我が家では少し作っていて、正月用の粟餅にして食べていた。美味。『合掌部落』(1956)所収。(清水哲男)


October 03102000

 雁来紅弔辞ときどき聞きとれる

                           池田澄子

が飛来するころに葉が紅く色づくので「雁来紅」。「かまつか」の読みも当てるが、掲句ではそのまま「がんらいこう」と読ませるのだろう。葉鶏頭のこと。故人とは特別に親しかったわけでもないので、作者は参列者の末席あたりにいる。「雁来紅」が目に写るということは、小さな寺で堂内に入れずに、境内に佇んでいるのかもしれない。こういうことは、よくある。したがって、弔辞もよく聞こえない。こうした場合、普通は「よく聞きとれぬ」と言うところを、同じことなのだが「ときどき聞きとれる」とやったところに可笑しみが出た。物も言いようと言うけれど、掲句の「言いよう」には俳句での年季が感じられる。「聞きとれぬ」と「聞きとれる」では、葬儀そのものへの感情的距離感がまったく違ってしまう。「聞きとれぬ」は悲哀に通じ、逆に「聞きとれる」は諧謔に通じる。作者は、そのことを十二分に承知している。「雁来紅」はいよいよ鮮やかに目に沁み、いわば義理で出ている葬儀はなかなか終わりそうもない。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


October 02102000

 朝寒のベーコン炒めゐたりけり

                           草間時彦

間時彦の句に出てくる食べ物は、いつも美味しそうだ。食の歳時記といった著書もあると記憶するが、いわゆる「食通」ではなく、舌のよさを誇示するようなところはない。むしろ誰もが食べている普通の食材、普通の料理から、それぞれの美味しい味を引き出す名人とでも言うべきか。掲句のベーコンにしても、然り。炒められているベーコンは、寒くなってきた朝という設定のなかにあってこそ、まことに香ばしい美味を思わせる。「朝寒(あささむ)」に襟を掻きあわせたい気分で起きてくると、台所では妻がベーコンを炒めていた。とても嬉しい気分になった。その妻の様子を「炒めゐたりけり」と大きく捉えることで、気の利く妻への無言の感謝の念と、間もなくカリカリに揚がって食卓に出てくるベーコンへの期待感を詠み込んでいる。もちろんベーコンでなくてもよいのだが、寒くなりかけた朝の透明な空気にベーコンとは洒落ているのだ。私はベーコン好きだから、余計にそう感じるのだろうが……。ともかく句をパッと読んだとたんに、パッと食べたくなる。誰にも作れそうでいて、作ろうと思うとなかなかに難しそうな句だ。芸の力を思う。『櫻山』(1974)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます