October 052000
ねむたしや霧が持ち去る髪の艶
櫛原希伊子
たしかに、霧は「ねむた」くなる。山の子だったから、この季節には薄い霧にまかれて登校した。うっすらと酔ったような感じになり、それがかすかな眠気を誘い出すようである。「夢うつつ」とまではいかないが、景色のかすむ山道は、夢の淵につながっているようにも思えた。その霧が、風に吹かれてさーっと晴れていく。夢の淵も、たちまちにして現実に戻る。しかし、まだ「ねむたし」の気分はそのままなので、消えた霧といっしょに「ふと大事なものを失ったような気がする」(自註)。その大事なものが「髪の艶(つや)」であるところに、女性ならではの発想が感じられ、作者のデリカシーを味わうことができた。男だと、どう詠むだろうか。自問してみたが、具体的には思い浮かばない。強いて言うならば身体的な何かではなく、精神的な何かだろうか。でも、それではおそらく「髪の艶」の具体には適うまい。説得力に欠けるだろう。具体を言いながら抽象を言う。俳句様式の玄妙は、そういうところにもある。櫛原希伊子の魅力は、一瞬危うくも具体を手放すように見えて、ついに手放さないところにあるようだ。常に、現場を離れない。冬季になるが、もう一句。「枯れ切つて白き芦なり捨て身なり」。季語は「枯芦」。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)
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