急に寒くなり、ここ何日かで風邪を引く人が出てきた。我が家でも、放送局でも。ご自愛ご専一に。




2000ソスN10ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 05102000

 ねむたしや霧が持ち去る髪の艶

                           櫛原希伊子

しかに、霧は「ねむた」くなる。山の子だったから、この季節には薄い霧にまかれて登校した。うっすらと酔ったような感じになり、それがかすかな眠気を誘い出すようである。「夢うつつ」とまではいかないが、景色のかすむ山道は、夢の淵につながっているようにも思えた。その霧が、風に吹かれてさーっと晴れていく。夢の淵も、たちまちにして現実に戻る。しかし、まだ「ねむたし」の気分はそのままなので、消えた霧といっしょに「ふと大事なものを失ったような気がする」(自註)。その大事なものが「髪の艶(つや)」であるところに、女性ならではの発想が感じられ、作者のデリカシーを味わうことができた。男だと、どう詠むだろうか。自問してみたが、具体的には思い浮かばない。強いて言うならば身体的な何かではなく、精神的な何かだろうか。でも、それではおそらく「髪の艶」の具体には適うまい。説得力に欠けるだろう。具体を言いながら抽象を言う。俳句様式の玄妙は、そういうところにもある。櫛原希伊子の魅力は、一瞬危うくも具体を手放すように見えて、ついに手放さないところにあるようだ。常に、現場を離れない。冬季になるが、もう一句。「枯れ切つて白き芦なり捨て身なり」。季語は「枯芦」。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


October 04102000

 粟の穂や一友富みて遠ざかる

                           能村登四郎

(あわ)は五穀の一つ。他は、稲、麥、黍(きび)、稗(ひえ)である。芭蕉に「粟稗にまづしくもなし草の庵」とあり、昔は粟や稗を主食とする者は貧しい人たちであった。「あは」は「あはき」の略という説もあり、米などよりも味が淡いことから来ているというが、風に揺れる粟の穂の嫋々たる姿をも感じさせる命名だ。句意は明瞭。一友は、事業にでも成功したのだろう。あれほど仲がよかったのに、爾来すっかり疎遠になってしまった。かつては伴に歩いたのであろう粟畑の道を、彼ひとり「遠ざかる」姿が見えているのか。しかし、作者には、離れていった友人に対する嫉(そね)みもなければ、ましてや恨みもない。半ば茫然と、浮世の人間(じんかん)の不思議さを詠んでいる。その淡々とした詠みぶりが、粟畑をわたる秋風に呼応している。最近はさっぱり粟畑を見ないが、まだ栽培している農家はあるのだろうか。昔の我が家では少し作っていて、正月用の粟餅にして食べていた。美味。『合掌部落』(1956)所収。(清水哲男)


October 03102000

 雁来紅弔辞ときどき聞きとれる

                           池田澄子

が飛来するころに葉が紅く色づくので「雁来紅」。「かまつか」の読みも当てるが、掲句ではそのまま「がんらいこう」と読ませるのだろう。葉鶏頭のこと。故人とは特別に親しかったわけでもないので、作者は参列者の末席あたりにいる。「雁来紅」が目に写るということは、小さな寺で堂内に入れずに、境内に佇んでいるのかもしれない。こういうことは、よくある。したがって、弔辞もよく聞こえない。こうした場合、普通は「よく聞きとれぬ」と言うところを、同じことなのだが「ときどき聞きとれる」とやったところに可笑しみが出た。物も言いようと言うけれど、掲句の「言いよう」には俳句での年季が感じられる。「聞きとれぬ」と「聞きとれる」では、葬儀そのものへの感情的距離感がまったく違ってしまう。「聞きとれぬ」は悲哀に通じ、逆に「聞きとれる」は諧謔に通じる。作者は、そのことを十二分に承知している。「雁来紅」はいよいよ鮮やかに目に沁み、いわば義理で出ている葬儀はなかなか終わりそうもない。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)




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