帰宅のバスは数系統利用可能。バス停は離れている。何も考えずパッと行くとすぐ乗れる確率が高い。




2000ソスN10ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 06102000

 煙草女工に給料木犀よりあかるし

                           飴山 實

料日。不思議なもので、誰が口に出すわけでもないのに、なんとなく会社や工場のなかがはなやぐから、訪ねた第三者にもそれとわかる。作者は戦後間もなく、生活改善運動などに取り組んでいたので、その折りの一光景だろうか。まだ「女工」という言葉が生きていた。決して高くはない給料を手にした彼女たちが素直に喜んでいる様子を、敷地内の「木犀(もくせい)」に「よりあかるし」と照り返させている。愛情にいささかの哀惜の情が入り交じって、美しい一句となった。この「より」を「MORE」ではなく「THAN」と読むことも可能だが、私には「MORE」のほうが工場全体の雰囲気を伝えていて、好もしい。「THAN」だと、句が平板になるように思う。いずれにしても、当時の給料は現金支給だったので、明るさが自然に素朴に出たのだろう。私が勤めていた1960年代の河出書房もキャッシュであり、おまけに月二回システムだったから、社内は月に二度はなやいだ。もっとも、その頃の文藝春秋社などは、なんと週給制を採用していた。どういうわけだったのだろう。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


October 05102000

 ねむたしや霧が持ち去る髪の艶

                           櫛原希伊子

しかに、霧は「ねむた」くなる。山の子だったから、この季節には薄い霧にまかれて登校した。うっすらと酔ったような感じになり、それがかすかな眠気を誘い出すようである。「夢うつつ」とまではいかないが、景色のかすむ山道は、夢の淵につながっているようにも思えた。その霧が、風に吹かれてさーっと晴れていく。夢の淵も、たちまちにして現実に戻る。しかし、まだ「ねむたし」の気分はそのままなので、消えた霧といっしょに「ふと大事なものを失ったような気がする」(自註)。その大事なものが「髪の艶(つや)」であるところに、女性ならではの発想が感じられ、作者のデリカシーを味わうことができた。男だと、どう詠むだろうか。自問してみたが、具体的には思い浮かばない。強いて言うならば身体的な何かではなく、精神的な何かだろうか。でも、それではおそらく「髪の艶」の具体には適うまい。説得力に欠けるだろう。具体を言いながら抽象を言う。俳句様式の玄妙は、そういうところにもある。櫛原希伊子の魅力は、一瞬危うくも具体を手放すように見えて、ついに手放さないところにあるようだ。常に、現場を離れない。冬季になるが、もう一句。「枯れ切つて白き芦なり捨て身なり」。季語は「枯芦」。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


October 04102000

 粟の穂や一友富みて遠ざかる

                           能村登四郎

(あわ)は五穀の一つ。他は、稲、麥、黍(きび)、稗(ひえ)である。芭蕉に「粟稗にまづしくもなし草の庵」とあり、昔は粟や稗を主食とする者は貧しい人たちであった。「あは」は「あはき」の略という説もあり、米などよりも味が淡いことから来ているというが、風に揺れる粟の穂の嫋々たる姿をも感じさせる命名だ。句意は明瞭。一友は、事業にでも成功したのだろう。あれほど仲がよかったのに、爾来すっかり疎遠になってしまった。かつては伴に歩いたのであろう粟畑の道を、彼ひとり「遠ざかる」姿が見えているのか。しかし、作者には、離れていった友人に対する嫉(そね)みもなければ、ましてや恨みもない。半ば茫然と、浮世の人間(じんかん)の不思議さを詠んでいる。その淡々とした詠みぶりが、粟畑をわたる秋風に呼応している。最近はさっぱり粟畑を見ないが、まだ栽培している農家はあるのだろうか。昔の我が家では少し作っていて、正月用の粟餅にして食べていた。美味。『合掌部落』(1956)所収。(清水哲男)




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