October 072000
何もないとこでつまずく猫じゃらし
中原幸子
こういうことが、私にもたまに起きる。どうしてなのか。甲子園で行進する球児のように、極度の緊張感があるのならばわかる。足並みを揃えなければと思うだけで、歩き方がわからなくなるのだ。だから、チームによっては極度に膝を高く上げて歩いたりする。普段と違う歩き方を意識することで、これは存外うまくいくものだ。しかし、一人でなんとなく歩いていてつまずくとは、どういう身体的な制約から来るのだろうか。やはり、突然歩き方がわからなくなったという意識はある。そう意識すると、今度は意識しているから、余計につまずくことになる。道端で「猫じゃらし」が風にゆれている。くくっと笑っているのだ。コンチクショウめが……。そこで、またつまずく。「猫じゃらし」の名前は一般的だが、昔は仔犬の尻尾やに似ていることから、どちらかというと「狗尾草(えのころぐさ)」のほうがポピュラーだったようだ。たいていの歳時記の主項目には「狗尾草」とある。「良い秋や犬ころ草もころころと」(一茶)。この句は、仔犬の可愛らしさに擬している。『遠くの山』(2000)所収。(清水哲男)
December 072006
雪降ってコーヒー組と紅茶組
中原幸子
寒いと思ったら、この街ではめったにお目にかかれない雪が舞いはじめた。外の情景をさっと描写したところで視点は喫茶店の内側へと切り替る。どっと入ってきてようやく席に落ち着いた一行。注文をとりに来たウェイトレスを前に幹事役の人が「コーヒーの人」「紅茶の人」と賑やかに声をかけ、手を挙げてもらっている。たくさん人が集まればよく見かける光景であるが、いい大人が「はい、はい」と、素直に手を挙げる様子もどこか子供じみて可愛げがある。幹事のとっさの問いかけであったが、この時は他の注文もなく、きれいにコーヒー組と紅茶組に分かれたのだろう。そんな偶然をきっかけにちょっと堅かった座の雰囲気も自然にほぐれる。「そういえば、あなた朝食はごはんそれともパン?」「猫が好き?犬が好き?」よく話題にのぼる二分法についてコーヒー組と紅茶組との間で会話が弾み始めたかもしれない。暖かな飲物もゆきわたり、ほっと落ち着いた気分で窓に眼をやれば雪はちらちらと降り続いている。白く細やかな雪が楽しげな室内の空気をいっそう引き立てるようである。幸子の句には都会で暮らす日常のなにげない出来事が季節を感受する喜びとともに生き生きと書きとめられている。それは今の暮しの原風景であるように思える。『以上、西陣から』(2006)所収。(三宅やよい)
July 312008
ほらごらん猛暑日なんか作るから
中原幸子
それにしても暑い。おおせの通り、言葉が現実を作り出すのでしょうか。「夏日」「真夏日」に加えて「猛暑日」が作られたのが去年。そんな看板に合わせてどんどん気温がうなぎのぼりになっているのかもしれない。「酷暑」「極暑」なんて季語も、いかにも暑そうだけど「猛暑」となると一枚上手、暑さがうなり声をあげて息巻いていいそうである。いまや30度の「真夏日」なんてまだ涼しい、と思ってしまう自分がこわい。冷房の効いたビルから一歩外へ踏み出せば、灼熱の日差し、アスファルトの照り返しに頭がかすんで息も詰まるばかり。そんなとき、この句がぐるぐる頭を回りだす。「ほらごらん」とは、「猛暑日」を作ったお役人とともに作者も含め快適さを享受しながら暑さにおたおたする私達へも向けられているのだろう。今までの最高気温は去年熊谷で記録された40.9度ということだったけど、今年はどうなのだろう。みなさま熱中症にはくれぐれもお気をつけください。「船団」75号(200712/1発行)所載。(三宅やよい)
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