いまが今年のいちばん苦しい坂。いや、こっちの話です。日本シリーズのチケット、物凄い人気らしい。




2000ソスN10ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 11102000

 鳩吹いて昔をかへすよしもなし

                           清水基吉

語は「鳩吹く」だ。両方の掌を合わせて息を吹き込むと、山鳩の鳴くような音が出る。子供のころずいぶん練習したが、鳴らなかった。不器用なので、ピーピーッという指笛すらも鳴らせない。野球場で鳴らしている人がいると、口惜しくなる。さて、昔の人はなんのために「鳩」を吹いたのだろう。諸説あるようで、猟師が鹿などの獲物を発見したときに、互いに知らせあったというのも、その一つ。それもうなずけるが、掲句の場合には、山鳩を捕るときに誘い寄せるためという説があり、これに従うのが適当だろう。「鳩」を吹いて山鳩を誘い寄せる(誘い「かへす」)ことはできても、しかし「昔」だけは「かへすよしもなし」と詠嘆している。「鳩吹」の素朴な「ほうっほうっ」という音が、句全体に沁み渡っており、詠嘆を深いものにしている。前書に「那須大丸温泉に至る」とあるので、旅行中の吟と知れるが、作者はそこで思わずも「鳩」を吹いてみたくなるような懐しい風景に触れたのだろう。なんでもないような句だが、ある程度の年齢を重ねてきた読者には、はらわたにこたえるような抒情味を感じる一句である。作者は、横光利一の弟子であった芥川賞受賞作家。お元気のご様子、なによりです。作者主宰俳誌「日矢」(2000年10月号)所載。(清水哲男)


October 10102000

 秋澄むや山を見回す人の眼も

                           大串 章

者が詠んでいる人は、物珍しくて見回しているのではない。山で暮らす生活者の「眼」だ。好奇心の「眼」はきらきらとは光るが、ついに「澄む」までには至らない。山に住む人は、子供のころからずっと山を見回して生きてきたのだし、これからも生きていく。山は、実にいろいろなことを教えてくれるから、半ば本能的に見回すのだ。季節の移ろいを知ることは無論だが、その日の天候を知ることにはじまり、山の活気如何による作物の出来具合、はたまた自分の精神状態まで、それと意識しなくても、見回すだけでわかってくる。「自然にやさしく」などというしゃらくさい「眼」では、見回してもタカが知れている。したがって、この人の見回す「眼」は澄んでいる。澄んでいなければ、見回せない。「澄む」とは、環境に溶けていることだ。都会に暮らす作者は、ひさしぶりに見回す「眼」の澄んでいる人に接して、かつて山の子だった自身の周辺の「眼」を思い出したのだ。そこに、感動がある。見回す「眼」で、それこそ私は思い出した。笠智衆の「眼」だ。たとえば映画『東京物語』を思い出していただきたい。彼が見回すのは、山ではなくて瀬戸内海だが、同じことである。ああいう眼技のできる役者は、少ない。『東京物語』に限らないが、本当にその地で生活している人のように、自然にすうっと見回すことのできる名人であった。見回す「眼」は、いつも澄んでいた。作者主宰俳誌「百鳥」(2000年10月号)所載。(清水哲男)


October 09102000

 体育の日を書き物で過ごしけり

                           森田公司

育と「書き物」などの机上の所業とは、対立的な振る舞いとして捉えられてきた。身体を使うか、使わないか。対立軸は、そこにある。考えてみれば「文武両道」なる精神も、そこに発している。「文弱」なども同様だ。だから、掲句も意味を持つ。みんなが身体を動かすことに自覚的な一日を、我一人は文章を書いて過ごした。よんどころない原稿の締切に追われたせいなのか、あるいは誘われた市民運動会なんぞに参加してやるものかという反骨心(ひねくれ根性)からか、それは知らない。いずれにしても、句は常識としての対立概念をベースに成立している。しかし、それこそひねくれ根性のせいか、私はこの常識を好きになれない。体育と「書き物」などの「知育」とは対立してはいない。むしろ、平行している。共存している。極められるかどうかは別にして、人は誰でも本質的に「文武両道」であらざるを得ぬ生き物だろう。それをことさらに「体育」と言い「知育」と言ってきたのは、何のためだろうか。決まってるジャン、国家のためだ。富国強兵、お国のためである。「体育の日」は、東京五輪(1964)の記念日だ。お国のために開かれたオリンピックを、永久に思い出させようとする企みに発した旗日である。ヒットラーの愛人が作ったベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』は、その素晴らしい映像を梃子に、この二項対立概念を「民族」に説得する方便としての映画でもあった。そして、戦争がはじまる。はじめは「体育」の人が死んでいき、結局は「知育」の人も後を追わされた……。「旗日とやわが家に旗も父もなし」(池田澄子)。『新日本大歳時記・秋』(1999・講談社)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます