October 142000
露寒の刑務所黒く夜明けたり
岡本 眸
ここから、すべての物語がはじまる。ドラマがが動きはじめそうな予感がする。掲句は、いろいろなことを読者に想像させる。フランスのフィルム・ノワール(暗黒街を扱う映画)だとか、邦画では赤木圭一郎『抜き打ちの竜』シリーズなど、一連の都会的な悪の世界を娯楽的に描いた映画のファンであった私は、そんな印象を受けたく(!)なる。が、おそらく作者には、そうした芝居っ気はないのだろう。あったとすれば、季語の「露寒」が抒情的に過ぎるからだ。写生句だろうか、想像句だろうか。わからないが、世間を隔てる高くて長い塀の向こうの黒い建物を句の中心に据えて、秋の寒さを言ったところは、お見事と言うしかない。夜明けだから、作者は起きたばかりだ。まだ、暖をとることはしていない。そして刑務所には、いつだって暖などはない。「露寒」という同じ環境にはあるのだけれど、こちらには望めば暖かい時間は得られるわけだが、あちらには望んで得られる環境はないのである。と言って、ことさらに「おかわいそうに」ということではなく、望んで得られるかどうかの落差に、作者は「露寒」をより切なく感じたということだろう。句には無関係な話だが、塀のあちらに行ってきた友人の話では、寒暖への関心はむしろ二の次で、量刑の多寡による人間関係の難しさがコタえたと言っていた。政治犯であった彼の独房の周辺には、数人の死刑囚が収監されていた。「必ず生きて出られるオレは、その思いだけでも暖かかった」と、これは私の脚色だけれど、向こう側でもこちら側でも、人間関係の寒さがいちばん寒いのである。『朝』(1971)所収。(清水哲男)
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