October 162000
赤とんぼじっとしたまま明日どうする渥美 清三木露風の童謡「赤とんぼ」を思い出す。三番の結び。「……、とまっているよ、竿の先」。掲句の作者も見ているように、よく赤とんぼ(だけではないけれど)は、秋の日に羽を光らせて「じっとしたまま」でいることがある。休息しているのだろうか。が、鳥のように羽をたたまずにピーンと張ったままなので、緊張して何か思案でもしいるような姿に写る。露風の詩はここまでで止めている(この詩が、露風十代の俳句を下敷きにしていることは以前に書いた)が、掲句はもう一歩踏みだしている。お前、明日はどうするんだい。そう言ってはナンだが、何かアテでもあるのかい。この優しい呼びかけは、もとより自身への呼びかけである。お互いに、風に吹かれて流れていく身なのだからさ。と、赤とんぼを相棒扱いにして呼びかけたところに、露風とはまた違う生活感のある人間臭い抒情味が出た。作者は、ご存知松竹映画「『男はつらいよ』シリーズ」で人気のあった寅さんだ。いや、寅さんを演じた役者だ。渥美清は、俳号を「風天」と称していた。「フーテンの寅」に発している。掲句は朝日新聞社発行の雑誌「アエラ」に縁のある人々の「アエラ句会」で披露された45句のうちの一句。熱心で、句会には皆勤に近かったと、亡くなった後の「アエラ」に出ている。このことを知ると、どうしても「寅さん」が詠んだ句だと映画に重ね合わせて読んでしまう。止むを得ないところだが、しかし、そういうことを離れて句は素晴らしい。「どうする」の口語調が、とりわけて利いている。この秋の赤とんぼの季節も、そろそろおしまいだ。「明日どうする」。どうしようか。「アエラ」(1996年8月19日号)所載。(清水哲男) December 312008 ただひとり風の音聞く大晦日渥美 清大晦日とぞなりにけり。寅さん・・・・じゃなかった、渥美清の句でこの一年をしめくくりたい。渥美清がいくつかの句会に熱心に参加して、俳句を残していたことはよく知られている。彼は「芝居も暮らしも贅肉がない人」と言われた。残された俳句にも、もちろん贅肉は感じられない。人を笑わせ、人を喜ばせておいて、自分はひっそりとただひとり静かに風の音に耳をかたむけている、そんな図である。まだ売れなかった昔をふと回想しているのかもしれないが、この人は映画「男はつらいよ」で売れっ子になってからも、そのような心境であったものと思われる。しゃしゃり出ることはなかった。俳号は風天(フーテン)。掲出句は亡くなる二年足らず前の「たまご句会」で作った。彼の大晦日の句には「テレビ消しひとりだった大みそか」という、これまた淋しげな句もある。風天さんの代表句と言われているのは「お遍路が一列に行く虹の中」である。どこやら、「男はつらいよ」の一カットであるかのようでもある。『カラー版新日本大歳時記』春の巻に、虚子や多佳子らが詠んだお遍路の句と一緒に収められている。ところで、「男はつらいよ」シリーズは第48作「寅次郎紅の花」が最後になったけれども、山田洋次監督は第49作目に「寅次郎花へんろ」を撮る予定だったという。森英介著『風天 渥美清のうた』には、著者が苦労して集めた風天さんの二二〇句が収められている。さまざまな大晦日の過ごし方があろうけれど、今日は大晦日の風天句をしばし心に響かせてみたくなった。『風天 渥美清のうた』(2008)所載。(八木忠栄) December 072011 鍋もっておでん屋までの月明り渥美 清鍋をもって近所へ豆腐を買いに行ったり、おでんを買いに走ったり――そんな光景は今でも見られるのだろうか? 「おでん屋」といっても、ここでは店をかまえているおでん屋ではなくて、屋台のおでん屋ではないだろうか。夕食のおかずを作る時間がなくて、熱いおでんを買いに行くのだろう。酒の肴にするおでんを買ってくる、ということなのかもしれない。下町あたりだろう。月だけが皓々と照っていて、外は一段と寒い。映画「男はつらいよ」にこんなシーンはありそうだが、記憶にない。おでん屋の屋台と手にもつ鍋が月明りのなかで、そこだけポッと暖かく照らし出されているような気がする。落語の「替り目」は、深夜つまみがないから、酔っぱらって帰ってきた亭主のために、女房がおでん屋へ走るという噺だ。掲句について、森英介さんは「渥美清さんの生活の反映のような気がしますね」とコメントしている。そう、渥美清の生活実感だったかもしれない。「名月に雨戸とざして凶作の村」なんて句もある。森英介『風天 渥美清のうた』(2008)所載。(八木忠栄) April 052015 朝寝して寝返りうてば昼寝かな渥美 清映画『男はつらいよ』で親しまれた俳優・渥美清の句です。亡くなったのが1996年で没後20年ですが、親しみのある顔と愛嬌のある声質が、まだ瞼に耳に残っているせいか、つい最近までお元気だったような気がしています。いや、映画の寅さんは、これからも新しい観客の心の中で産まれ親しまれるでしょうから、渥美清は死んでも、寅さんは、映画と日本語が存続する限り、観る人の心の中で産声をあげるはずです。なぜなら、寅さんはベビーフェイスだからです。赤ちゃんだから、よく寝ます。「とらや」の二階で、旅先の旅館で、よく横たわっていました。「とらや」のおじちゃんと喧嘩をしては、二階に上がって不貞寝をし、「いつまで寝てるんだよ、寅」と、はたきをかけているおばちゃんに、朝寝をたしなめられていました。掲句も、そんな寅さんの自堕落な午前中を描いているようにも思われます。しかし、朝から昼へとモンタージュで編集するところに、映画人が作った俳句だな、と感心します。また、「朝寝」という春の季語から「昼寝」という夏の季語へと一気に飛躍できるところに、この人の心の中に棲む風羅坊を感じます。ほかに、「朝寝新聞四角いまままっている」。俳号は風天。『赤とんぼ』(2009)所収。(小笠原高志) December 302015 行く年しかたないねていよう渥美 清寅さん、じゃなかった渥美清が亡くなって、来年は二十年目となる。早いものだ、と言わざるを得ない。世間恒例のあれこれの商戦や忘年会も、過剰なイルミネーション(当時はそれほどでもなかったか)も、ようやく鳴りをひそめてきた年末。あとは残った時間が否応なく勝手に刻まれるだけ。反省しようとジタバタしようと、年は過ぎ行くのみ。「しかたない」のである。だから「ねていよう」というのである。いいなあ。どこやら、寅さん映画に出てくる旅先、お馴染みの寅さんの姿が目に浮かぶ。上五・中七の字足らずの不安定感が、年も押し詰まった旅の空で、皮鞄を脇にして寝るともなく寝ている姿を彷彿させてくれる。いや、清自身も実際にそういう生き方をしていたのかもしれない。「話をしようにも話し相手すらいない旅の一夜である。(中略)実体験であろうが、寅さんの旅のワンシーンにも重なってくる」と石寒太は鑑賞している。その通りだ。四十五歳だった清が、一九七三年十二月の「話の特集句会」に投じた句である。「立小便する気も失せる冬木立」の一句がならんでいる。森英介『風天』(2008)所載。(八木忠栄)
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