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October 20102000

 自負すこし野菊の畦に腰かけて

                           平岡千代子

者が「野菊の畦(あぜ)に腰かけて」いるのは、今である。が、ここには今にとどまらない時間が流れている。小さかった頃から、こうやって畦に腰かけては、いろいろな夢を描いてきた。それらの夢の実現には自負もあったし、今もある。野菊の畦は、そういう時間が流れてきた場所なのだ。野菊は昔から秋になると同じ姿でここに咲くから、少女時代の夢も自負も、ここに腰かければはっきりと思い出すことができる。思い返せば少女のころの夢も自負もが、とてつもなく大きいものだった。かなわぬ夢とも、無謀な望みとも思ってはいなかった。それが大人になって世間に馴染んでくるにつれ、夢は小さくなり、自負もためらい気味に「すこし」と感じるようになった。野菊は昔のままに咲き、私はもう昔の私ではない。しかし「すこし」にせよ、秘めたる夢と自負はあるのだ。作者はあらためて、自分で自分を励ましている。諦観を詠まずに、希望を歌っているところにうたれる。救われる。大人の健気とは、こういうものだろう。飛躍するようだけれど、実にカッコよい。平岡さんは、愛媛県北宇和郡在住。「私の家は遍路寺の近くにあります」と「あとがき」にある。素朴に野菊や山の花の咲く、日本の原風景が残っている土地なのだろう。ビルの谷間のちっぽけな公園のベンチに、いくら「腰かけて」みても、こういう句は生まれない。『橋』(2000)所収。(清水哲男)




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