二千円札を見ず触らずのまま三ヶ月が経過。コツは千円札しか持ち歩かないこと。何やってるんだか。




2000ソスN10ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 20102000

 自負すこし野菊の畦に腰かけて

                           平岡千代子

者が「野菊の畦(あぜ)に腰かけて」いるのは、今である。が、ここには今にとどまらない時間が流れている。小さかった頃から、こうやって畦に腰かけては、いろいろな夢を描いてきた。それらの夢の実現には自負もあったし、今もある。野菊の畦は、そういう時間が流れてきた場所なのだ。野菊は昔から秋になると同じ姿でここに咲くから、少女時代の夢も自負も、ここに腰かければはっきりと思い出すことができる。思い返せば少女のころの夢も自負もが、とてつもなく大きいものだった。かなわぬ夢とも、無謀な望みとも思ってはいなかった。それが大人になって世間に馴染んでくるにつれ、夢は小さくなり、自負もためらい気味に「すこし」と感じるようになった。野菊は昔のままに咲き、私はもう昔の私ではない。しかし「すこし」にせよ、秘めたる夢と自負はあるのだ。作者はあらためて、自分で自分を励ましている。諦観を詠まずに、希望を歌っているところにうたれる。救われる。大人の健気とは、こういうものだろう。飛躍するようだけれど、実にカッコよい。平岡さんは、愛媛県北宇和郡在住。「私の家は遍路寺の近くにあります」と「あとがき」にある。素朴に野菊や山の花の咲く、日本の原風景が残っている土地なのだろう。ビルの谷間のちっぽけな公園のベンチに、いくら「腰かけて」みても、こういう句は生まれない。『橋』(2000)所収。(清水哲男)


October 19102000

 秋風やカレー一鍋すぐに空

                           辻 桃子

やこしい句がつづいたので、スカッとサワヤカに。「空」には「から」の振り仮名。カレーライスは、こうでなくてはいけない。いつまでも、ぐちゃぐちゃと食べるものではない。福神漬かラッキョウを添えて(ベニショウガもいいな)、一気呵成に口に放り込む。食べた後の一杯の水の、これまた美味いこと。健啖の楽しさに充ちた爽やかな句だ。この句を思い出すと、つられてカレーが食べたくなってしまう。カレーは、子供が辛いものにも美味いものがあることを知る最初の食べ物だろう。なかには父親の晩酌相手の塩辛だったという剛の者もいるけれど、たいていはカレーだ。私も、そうだった。塩辛とは辛さが違い、唐辛子のそれとも違い、なんだか不思議な辛さだなと、子供心に思ったことである。ハウス・バーモントカレーもいいけれど、専門店のカレーはやはり唸らせる。ただし、私には激辛は駄目。いつだったか、タイに住んでいたことのある人と一緒に食べたことがあるが、一口でダウンした。その人は、この程度じゃ利かないねと澄ましていた。専門店もいいが、蕎麦屋系の店が出すとろみのある和風味のカレーも好きだ。ただ、そういう店ではよく、水の入ったコップに匙を漬けて出してくる。あれは、いったい何のマジナイなのだろう。あれだけは、ご免こうむりたい。『ひるがほ』(1986)所収。(清水哲男)


October 18102000

 山姫に日まぜに味な言ふまぐれ

                           加藤郁乎

たぞろ通草(あけび)の登場となった。「山姫」は通草の異称だ。なぜ異称なのか。それは、いまあなたが思ったとおりの連想からでしょう(笑)。この句は、たとえばセロファンなどの透明な二枚の紙にそれぞれ異なった情景を描き、その二枚を重ね、日に透かして見るとわかるという構造を持つ。一枚目の情景は、ほぼ掲句の字面どおり。もう一枚のそれは、通草が秋の夕日をあびて(夕日にまざって)味のよさそうな頃合いを見せているという図。キーワードとして「日まぜ」と「言ふ」が使われており「目まぜ(目配せ)」と「夕」とに掛けてあるので、これが二枚の絵を重ね合わせた句とわかる仕掛けだ。まず作者は、秋の夕暮れに生っている通草を見ている。食べごろだなと思っている。しかし、そのまんまを詠むのも野暮だというのが郁乎美学。そこで、ひねった。「通草」は「山姫」。ならばこいつを「姫」に見立てて、という発想だ。山出しの女が色街で磨かれ、一丁前に男に目配せなどしながら、味なことを言うようになった……。この絵を、通草の生る自然の情景に重ね合わせたわけである。そこで、両者は秋の日を透かして食べごろの「味」として合体した。作者は「野暮は言いたくないが、明和のころより深川の岡場所に流行した粋、意気の心を忘れて俳句全盛の時代でもあるまい」と言う。「十七が折りかけてみるさくらかな」。この句でも「俳句十七音」と「娘十七」が「粋」に掛けられている。粋と意気に感じて生きるのも、私などには息が切れそうだ。『粋座』(1991)所収。(清水哲男)




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