前橋行き。上州の風は半端じゃないので戦々恐々。シリーズは、諸般の事情(笑)で見られないかも。




2000ソスN10ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 28102000

 栗むきぬ子亡く子遠く夫とふたり

                           及川 貞

ったの一行で、家族の歴史を語っている。一人の子は亡くなり、一人の子は家を出て遠くに暮らしている。残された夫(つま)との二人暮らしの日々は、何事もなく静かに過ぎてゆく。「栗をむく」といっても、昔とは違い、ほんの少しで足りる。子供らがいてにぎやかだった頃には、たくさんむいた。その様子を、幼い子供らは目を輝かせて見つめていたものだ。そういうことが思い出され、あの頃が家族の盛りの季節であり、自分にも華の季節だったと、一抹の哀感が胸をよぎるのである。生栗の皮は、なかなかにむきにくい。とくに渋皮をきれいにむくのは、栗の状態にもよるけれど、そう簡単ではない。包丁で無造作に分厚くむく人もいるけれど、実がそがれてしまうので、私などにはもったいなくて、とても真似できない。子供時代には、爪だけでていねいに渋皮をむいた。外皮には、歯を使った。いまでは、とてもできない芸当だった。チャレンジする気にもならないが、おそらくはもう歯など立たないだろう。加藤楸邨に「我を信ぜず生栗を歯でむきながら」の一句あり。そうして皮がむけたら、栗ご飯にする。米は、もちろん新米だ。美味いのなんのって、頬っぺたが落ちそう……。あの当時の「銀シャリ」は美味かった。「コシヒカリ」なんてなかった頃。いまは、私の田舎でも「コシヒカリ」ばっかりだと聞いた。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 27102000

 帽子掛けに帽子が見えず秋の暮

                           杉本 寛

の男は、よく帽子を被った。戦前の駅や街などの人出を撮った写真を見ると、たいていの男が帽子を被っている。会社員はもちろん、小説家や詩人もほとんどがソフト帽を被っていたようだ。うろ覚えだが、白秋に「青いソフトに降る雪は、過ぎしその手か囁きか、酒か薄荷かいつの間に、消ゆる涙か懐しや」の小唄がある。おしゃれの必需品だったわけだ。その気風は戦後しばらくまで引き継がれていて、二十代の叔父が、少し斜めに被っていたダンディな姿を思い出す。父は、いまだに帽子派だ。だから、家の玄関だとか会社の応接室などには、必ず帽子掛けが置いてあった。それがいつしか流行も廃れ、「帽子掛けに帽子が見えず」の状態となる。作者は帽子好きのようで、この状態に寂しさを覚えている。「秋の暮」のように物悲しい。と、これは私の勝手な解釈で、自註には「玄関には常に帽子がいろいろと。来客、句会の時は一掃」とある。つまり掲句は、来客があるので一掃した状態を詠んでいるのだ。そこまでは句から読み取れないので、私の解釈でもよいだろう。いまや帽子掛けは無用の長物と成り果て、その気になって探してみても、なかなか見ることができない。若い人に見せても、そもそも何に使う道具なのかがわからないかもしれない。しかし、どういうわけか私の今の職場には帽子掛けが置いてあり、誰も帽子など被って来ないから、もっぱら傘掛け専用で使われている。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)


October 26102000

 鳥渡る勤め帰りの鞄抱き

                           深見けん二

ルの谷間から見上げる空にも、鳥の渡ってくる様子は見える。一日の仕事に疲れての帰宅時、なんとなく空を見上げたら、いましも渡っていく鳥たちが見えた。その昔「月給鳥」などという自嘲もあったが、大空を渡る鳥の姿は自由で羨ましい。黒い鞄を抱きながら、しばし見惚れたというところ。サラリーマンには、身に沁みる句だ。このときに胸に抱いている黒い鞄は、不自由の象徴だろう。それを、後生大事に抱いていなければならぬ侘びしさ。鞄の色など書かれてはいないが、この場合には、どうしても昔の平均的サラリーマンが持っていた黒い色のでないと味が出ない。私も、そんな鞄を持っていた。たいした物が入っているわけでもないのに、持っていないと不安というのか、何か頼りなさを感じたものだ。最近の人は、あまり黒い鞄を持たない。千差万別。意識的に街で観察してみたら、まさに千差万別だ。となれば、勤め帰りに見る渡り鳥の印象も、掲句のようには感じられないのかもしれない。鞄一つが変わったのではなくて、勤め人の意識が、昔とは大違いになっているということだろう。生涯サラリーマンで安住(?!)したかったのに、行く先々で会社がこわれてしまった私などには、掲句の侘びしさすらもが羨ましく写る。渡り鳥は、鳴いて渡る。昔のサラリーマンもまた、鞄を抱いて泣いて世間を渡っていた。というのは嘘で、ちゃんとした終身雇用制度下のサラリーマンは、この侘びしさをどこかで楽しむ余裕もあったということ。と書いても、べつに作者に失礼にはあたるまい。『雪の花』(1977)所収。(清水哲男)




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