プロ野球シーズン終了。例年のことながら寂しい。テレビを見ない日々がはじまった。本でも読もう。




2000ソスN10ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 30102000

 日当りの土いきいきと龍の玉

                           山田みづえ

が群生し葉先の長い「龍の玉(りゅうのたま)」の実は、一寸かきわけないとよく見えない。虚子の句「竜の玉深く蔵すといふことを」は、この様子からの発想だ。木の下などの日蔭の植物というイメージが濃いが、掲句では日にさらされている。垣根か庭の下草として植えられたものだろうか。眼目は「龍の玉」そのものからは一度焦点が外されて、周辺の土から詠んでいるところだ。土を詠んで、もう一度「龍の玉」に目が向けられている。陰気といえば陰気な「龍の玉」が「日当り」にある姿は、たぶん生彩を失っているだろう。瑞々しさが減り、埃っぽい感じすら受ける。だから余計に、土の「いきいきと」した様子が浮き上がる。そこで「龍の玉」は、身の置き所がないように俯いている。人に例えれば、内気な人が急に晴舞台に引っぱり上げられたようなものである。作者は土の勢いに感嘆しつつも、身を縮めている風情の植物にいとおしさを感じている。この素材に、こうした着眼は珍しい。一筋縄ではいかない感性のありようを感じる。「龍の玉」の実は「はずみ玉」とも言われるように、固くて弾力があり、子供のころは地面に叩きつけて遊んだりした。もっとも、叩きつけた地面(土)の勢いなど、何も感じなかったけれど……。たぶん子供は自分の命に勢いがあるので、自然の勢いなどには無頓着なのである。『木語』(1975)所収。(清水哲男)


October 29102000

 行先ちがふ弁当四つ秋日和

                           松永典子

日あたり、こんな事情の家庭がありそうだ。絶好の行楽日和。みんな出かけるのだが、それぞれに行き先が違う。同じ中身の弁当を、それぞれが同じ時間に別々の場所で食べることになる。蓋を取ったとき、きっとそれぞれが家族の誰かれのことをチラリと頭に描くだろう。そんな思いで、弁当を詰めていく。大袈裟に言えば、本日の家族の絆は、この弁当によって結ばれるのだ。主婦であり母親ならではの発想である。変哲もない句のようだが、出かける四人の姿までが彷彿としてきてほほ笑ましい。こういうときには、たいてい誰かが忘れ物をしたりするので、主婦たる者は、弁当を詰め終えたら、そちらのほうにも気を配らなければならない。「ハンカチ持った?」「バス代は?」などなど。家族の盛りとは、こういう事態に象徴されるのだろう。みなさん、元気に行ってらっしゃい。また、こういう句もある。「子の布団愛かた寄らぬやうに干し」。よくわかります。一応ざっと干してから、均等に日が当たるようにと、ちょちょっと位置を微妙に修正するのだ。今日あたり、こういう母親もたくさんいるだろう。ちなみに「布団」は冬の季語。「とても好調だ、典子は」と、これは句集に添えられた坪内稔典さんの言葉だ。『木の言葉から』(1999)所収。(清水哲男)


October 28102000

 栗むきぬ子亡く子遠く夫とふたり

                           及川 貞

ったの一行で、家族の歴史を語っている。一人の子は亡くなり、一人の子は家を出て遠くに暮らしている。残された夫(つま)との二人暮らしの日々は、何事もなく静かに過ぎてゆく。「栗をむく」といっても、昔とは違い、ほんの少しで足りる。子供らがいてにぎやかだった頃には、たくさんむいた。その様子を、幼い子供らは目を輝かせて見つめていたものだ。そういうことが思い出され、あの頃が家族の盛りの季節であり、自分にも華の季節だったと、一抹の哀感が胸をよぎるのである。生栗の皮は、なかなかにむきにくい。とくに渋皮をきれいにむくのは、栗の状態にもよるけれど、そう簡単ではない。包丁で無造作に分厚くむく人もいるけれど、実がそがれてしまうので、私などにはもったいなくて、とても真似できない。子供時代には、爪だけでていねいに渋皮をむいた。外皮には、歯を使った。いまでは、とてもできない芸当だった。チャレンジする気にもならないが、おそらくはもう歯など立たないだろう。加藤楸邨に「我を信ぜず生栗を歯でむきながら」の一句あり。そうして皮がむけたら、栗ご飯にする。米は、もちろん新米だ。美味いのなんのって、頬っぺたが落ちそう……。あの当時の「銀シャリ」は美味かった。「コシヒカリ」なんてなかった頃。いまは、私の田舎でも「コシヒカリ」ばっかりだと聞いた。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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