纃カE句

November 04112000

 萩の野は集つてゆき山となる

                           藤後左右

校の数学の時間に、「演繹(deduction)」「帰納(induction)」という考え方を習った。掲句は四方から「萩の野」が傾斜面をのぼっていき、それらが集まって「山」になったと言うのだから、典型的な帰納法による叙景である。かつての「ホトトギス」で、中村草田男と並び称された藤後左右(とうご・さゆう)の技ありの一句だ。当時の俳人たちを驚かせた一句だと、山本健吉が書いている。そう言われて見回してみると、俳句は演繹による作句法が圧倒的に多いことに気がつく。演繹法は前提をまず認めなければ話にならないので、前提の正しさを保証するために、たとえば有季定型なる約束事があったりする。なかでも季語は、演繹的作法になくてはならない保証書のようなものだ。人々が掲句に驚いたのは、彼がこの保証書を無意識にもせよ引き裂いているからだろう。たしかに、「萩」なる季語は存在する。しかし、ここで「萩」は他の季語とどのようにでも交換可能だ。「菊」でもよいし「百合」でもよろしい。すなわち、左右の「萩」は演繹法における絶対の前提ではなく、帰納法での特殊な前提の位置にある。具体例をあげるまでもなく、名句の季語は絶対であり動かせない。掲句には誰でもが「なるほど」と感心はするけれど、それ以上に感情移入できないのは、このように絶対の前提を欠いているからである。たしかに技はあるが、実がない。とまあ、せっかくの三連休中に屁理屈をこねまわして御迷惑かと思うが、俳句という文芸様式を考える上では、こんな感想も一興かと……。『熊襲ソング』所収。(清水哲男)


August 1682004

 天と地の天まだ勝る秋の蝉

                           守屋明俊

京都心の真夏日連続記録は一昨日(2004年8月14日)までで途切れたが、40日といううんざりするほどの長さだった。しかし、週間天気予報では、また今日から真夏日がつづきそうだと出ている。どこまでつづく真夏日ぞ、やれやれだ。さて、句の季語は「秋」ではなくて「秋の蝉」。立秋を過ぎると、ヒグラシやホウシゼミなどの澄んだやや寂しい感じの鳴き方をする蝉が増えてくる。が、この句ではそのなかでもミンミンゼミのようなアブラゼミ顔負けの元気な鳴き方のものを指しているのだろう。むろんまだまだアブラゼミも元気だから、両者の合唱は盛夏のころよりも騒々しく、それが時雨のように「天」から降り注ぐ感じは、なるほど「天まだ勝る」いきおいである。「天と地」と大きく振りかぶった句柄は、人の意識に酷暑がその間にあるもろもろの物事や現象を亡失せしめた状態を表していて、卓抜だ。企んで振りかぶったというよりも、暑さの実感が振りかぶらせたのである。今日は旧盆の送り火。京都では大文字の火が見られ、これぞ「天と地」をあらためて想起させる行事と言えるだろう。藤後左右に「大文字の空に立てるがふとあやし」の一句あり。『蓬生』(2004)所収。(清水哲男)


November 10112005

 蜜柑山の中に村あり海もあり

                           藤後左右

語は「蜜柑(みかん)」で冬。近所の農家の畑に、数本の蜜柑の木がある。東京郊外で、昔は畑ばかりだった土地柄とはいえ、蜜柑の栽培は珍しい。通りかかると、今年もよく実っている。やわらかい初冬の日差しを受けて、黄色い実が濃緑の葉影にきらきらと輝いてい見える様子は、まことに美しい。「全て世は事もなし」、そんな平和な雰囲気に満ちている。心が落ち着く。掲句のように本格的な密柑山は見たことがないのだが、そんなわけで、ある程度の想像はつく。全山の蜜柑に囲まれて「村」があり、しかも「海も」あるというのだから、まるで一幅の絵のようである。この句に篠田悌二郎の「死後も日向たのしむ墓か蜜柑山」を合わせて読むと、それぞれの密柑山は別の場所のものだけれど、そのたたずまいが目に沁みてくる。ところで、我が家の近所に実った蜜柑を一度だけ食べたことがある。昨年の冬だったか。この農家では収穫後に即売をするらしく、ちょうどいま買ってきたところだと言って、近所の煙草屋のおばさんにいくつかもらった。おそらく、紀州蜜柑の系統なのだろう。小ぶりではあったが、とても甘くて美味しかった。今年も即売があるのなら、ぜひ買いたいとは思うのだが、その日については昔からのつきあいのある人にだけ教えるらしい。そりゃそうだ。たいした量が収穫できるわけでなし、即売とはいえ、ほとんどお裾分けに近い値段のようだし……。ま、余所者は黙って指をくわえているしかないだろう。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2982009

 噴火口近くて霧が霧雨が

                           藤後左右

棚で見つけた手作り風の本。開くと「句俳勝名新本日」。日本新名勝俳句にまつわる話はなんとなく聞いていた。投票で選ばれた、日本新名勝百三十三景を詠んだ俳句を募集したところ、全国から十万句を越える応募があり、それを虚子が一人で選をした、という。選がホトトギスに偏っていることが問題視されることも多いが、全国規模の大吟行。あちこちの山、川、滝、海岸、渓谷に通っては句作する、当時の俳句愛好家の姿を思い浮かべると、なんだか親しみを感じる。昭和五年のことである。掲出句は、阿蘇山を詠んだ一句で、帝國風景院賞なる、ものものしい賞を受けている。久女、秋桜子、夜半等の代表句が並ぶ中、ひときわ新鮮な左右の句。今そこにある山霧の、濃く薄く流れる様がはっきりと見える。霧が霧雨が、とたたみかけるような叙し方も、近くて、がどうつながっているのか曖昧なところも、当時の句としてはめずらしかっただろうし、句の息づかいは今も褪せない。左右についてあれこれ見ているうち、〈新樹並びなさい写真撮りますよ〉の句を得た時「蟻地獄から這い上がったような気がした」と述べているのを読んで、ここにも独自の俳句を模索する一本の俳句道があるのを感じた。「日本新名勝俳句」(1931・大阪毎日新聞社/東京日日新聞社)所載。(今井肖子)




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