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November 19112000

 断られたりお一人の鍋物は

                           岩下四十雀

んな経験はありませんか。私には、あります。独身のころ、にわかに鍋物が食べたくなって、小奇麗な店に入って注文したら、あっさり断られました。鍋物は一人でもテーブルを占拠するし時間もかかるので、経済効率、回転率からすれば「お一人」は最悪の客でしょう。だから「断られ」たわけですが、チョー頭に来ましたね。店内は込みあっているわけでもなく、むしろガラガラ状態。この野郎と思って、じゃあ「二人前だ」と言っても「困ります」と言うばかり……。「二度と来るか」と寒空の下に飛び出して、しかし鍋はあきらめきれず、そこらへんの居酒屋チェーンのカウンター席で「お一人」用の不味い鍋をつついた。あの古びて凸凹になったアルミ鍋を、インスタント焜炉に乗せて食べる侘びしさといったら、なかった。「二度と来るか」の店は、その後二年ほどして潰れたらしく、跡形もなくなったときには「ざまー見ろ」と思ったことでありました。まことに、食い物の恨みはおそろしい(笑)。掲句の作者は、こんなふうに愚痴を漏らしてはいない。漏らしていないだけ、余計にすごすごと引き下がる感じの哀れさと、しかし内心の「二度と来るか」の腹立ちとが伝わってくる。それに作者は独身(私の勝手な推定ですが)とはいっても、若者ではないだろう。さらにいっそう、切ないではないか。私の忘れていた屈辱を、鮮明に思い出さされた一句なので書いておきます。最近はこうした心理的トラブルを避けるために、やたらと空席に「予約席」の札を立てている店がある。浅知恵である。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


January 2012004

 日の冬をすかさず日雀小雀かな

                           岩下四十雀

者の四十雀(しじゅうから)という俳号からして、鳥好きを思わせる。そう言えば、「日雀(ひがら)」も「小雀(こがら)」もシジュウカラ科の鳥だ。いずれも夏の季語とするが、寒くなってくると人里近くに降りてくる。掲句は、それこそ「すかさず」その姿を詠んだものだ。寒い冬の朝、日が昇ると同時にやってきて、しきりに何かをついばみ囀っている。そんな彼らのおしゃべりが、作者には毎朝のささやかな楽しみなのだ。早朝の寒気のなかにあって、心温まる一刻である。鳥が一般的に早起きなのは、胃袋が小さくて空腹に耐えかねるからだという話を、どこかで聞いたことがある。そういうことなのだろうが、人はそんな彼らの事情には関係なくいつくしむ。おそらく、作者は餌を与えているのだろう。というのも、我が家の近所のお宅にいつも小鳥たちが囀っている庭があって、環境的には拙宅と変わらないのだけれど、とても賑やかだ。引っ越してきた当座は不思議に思ったが、どうやら鳥好きの家人が餌を与えているらしいことがわかった。腹を空かせた近所中の鳥が、毎日そこに集合して囀る様子は、さながら野鳥園のようだ。おかげで餌をやらない我が家には、めったに飛んでこない。ときおり、スズメが二羽か三羽ほど来る。そのお宅の庭の仲間たちから、いじめられてはじき出された弱者なのだろうか。などと、埒もないことを思ったりして眺めている。「俳句研究」(2003年4月号)所載。(清水哲男)




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